海賊と人質及び船員魂

                          海事コンサルタント 山本 徳行
                                 平成17年4月28日記

 日本国籍船 「韋駄天」 がマレーシア領海内のマラッカ海峡で海賊の襲撃を受け船長、 機関長及び三等機関士が拉致された衝撃的ニュースが報道されたのは、 平成17年3月14日の夜であった。
 私は海賊事件の専門家ではないが、 定期的に大手LNG輸入商社がメールで送信してくる海賊事件の情報や、 インターネットでIMB (国際海事局) の海賊情報を検索し最近の事件を検証して、 マラッカ海峡に於ける海賊の動向を把握していた。 インドネシア・スマトラ島アチェ地区の津波発生以降、 約2ヶ月間鳴りを潜めていた海賊は、 2月28日活動を再開し 「韋駄天」 襲撃は3件目であること、 直前の2件はいづれも船長と機関長を拉致し多額の身代金を船主に要求していることが判った。 事件が発生した日の夜半、 マレーシアから知人の日本人特派員が 「韋駄天」 襲撃事件の現地情報を電話で連絡して来たので、 現地の状況を把握することが出来た。
 翌15日、 近藤海事の近藤観司社長は旧知の間柄で、 前近代的な海賊事件で困惑している彼をサポートするのは当然だと判断し、 私が検証した情報を近藤海事本社へ提供した。 同日夜半、 関係官庁への協力要請のため上京していた近藤観司社長が帰北し、 会社へ向かう車中、 電話連絡がありマレーシアヘの同行を依頼された。
 翌16日、 福岡空港への車中、 近藤観司社長から 「韋駄天」 の現状、 残留乗組員の状態、 本社の連絡体制等事件に関わる状況の詳細を聞き、 拉致された人質の早期解放について話し合った。 空港到着の直前、 海賊からの連絡が本社へあり人質は全員無事との報に一先ず安堵した。 離日前の福岡空港での記者会見では、 近藤観司社長は海賊からの連絡の有無については明言を避けたが 「人質の安全と救出には確信がある」 とコメントして人質の現況を示唆した。
 福岡空港から INCHON 経由で空路12時間近く要して3月16日2230分頃、 ペナン空港に到着した。 機中では人質の早期救出と 「韋駄天」 の就労復帰の対応策を話し合ったので一睡も出来なかった。
 公言はできないが、 人質の解放には身代金を払うしか方法が無いことは明白である。 ホテル到着後直ちに、 社長と私は現地関係者を交え、 情報収集と検証、 マレーシア海事警察への対応、 交渉人の選択と対策等を深夜まで協議した。
 今回の海賊襲撃事件は日本国籍船最初のケースであり、 将来モデル・ケースとなる可能性があるので、 慎重に考慮して対処することを確認した。
 慎重に協議した結果は次の通りである。
@ 交渉人は組織に依頼すると時間がかかるので個人へ依頼する。
A 身代金は相場 (1人・1千万円) の半額以下を目標にする。
B 拉致船員の早期解放 (一週間以内) を目指す。
 翌17日近藤社長はマレーシアの最も信頼のおける人脈を通して交渉人を依頼すると共に、 身代金 (人質の捜索・救助費) の手配を本社に指示した。 全ての対策・交渉が順調に推移して、 連休前の18日〈金〉夕方には拉致された人質の三人を解放すると海賊から連絡があった。
 未曾有の事件が早期に解決したのは、 近藤観司社長の沈着な判断と的確な対策によるものであり、 私も彼の補佐役としてペナンに同行したことは有意義であった。 私が交渉に当り学んだことは、 人との出会いと人脈の大切さを再認識したことだ。 難問題解決には的確な判断力は勿論必要であるが、 人との出会いを大切に行動することが肝要だ。 早期解決にあたり、 多くの有能な信頼のおける協力者を得ることが出来た。 又、 私は報道陣への記者会見も誠意を尽くして行った結果、 報道陣も協力要請に快く応じてくれ、 取材態度は真摯で協力的であった。 現地日本法人企業及び報道陣等、 関係者の皆様に感謝する。
 解放された人質によると、 拉致された船長、 機関長及び三等機関士は、 海賊の若い実行犯とジャングルの湿地帯を毎日移動しながら、 虐待は受けず開放までの4日間を過ごしたようだ。 実行犯からは毎日、 携帯電話で連絡があり、 其の都度、 船長から直接 「危険は無く、 健康である」 との報告があったので安心していた。 海賊の一味は人間味があったようだ。 船長と機関長は喫煙者で、 言葉が通じないため指二本を口元に持っていくと若い実行犯の兵士がタバコを呉れたり、 彼らと同じ食事を共にし、 小屋で睡眠をとる時は最も好位置を与えられ、 蚊取り線香までに気を使う不逞の族だったようだ。 又、 海賊は解放する際、 全員に新品のTシャツとジャージのパンツを供与し、 船長に当座の費用として200米ドルを手渡した。
 18日夕、 拉致された人質は上陸したと思われるインドネシアの小島の砂浜で解放され、 4隻のボートを乗り継ぎ、 タイの漁船に乗り移ったことは、 船長からの電話連絡で分かっていたが、 その後、 連絡が途絶えた。
 19日夜、 海賊が約束したマレーシア、 KL付近に上陸するものと予想していたが、 夜半になっても連絡が無いため不安がよぎった。 途中、 時化で遭難したのではと不吉な予感がしたが、 私は星が煌く夜空を見上げ平穏無事を信じ連絡を待つことにした。
 しかし、 タイの漁船はマレーシア領内に入れない。 若し、 解放された三人がタイに上陸すれば、 夜間迎えに行く交通手段が無く遠距離を走行する車が必要になると考えて、 大型車の手配をしてホテルの地下駐車場に待機させた。
 予感が当り、 タイの海事警察から 「漁船から無線で連絡があり、 3人の身柄を無事保護した」 との連絡があったのは夕食を終えた直後の20日午後9時前だった。 保護された場所は、 タイ領のサツーンでペナンから約350km、 車で約7時間の距離だ。 近藤観司社長はタイに上陸した船長からの電話連絡で無事を確認し、 関係先に連絡して、 私が記者会見している最中、 地下駐車場に待機していた大型車に乗り込み、 ホテルを出発したのは真夜中を過ぎていた。
 タイ国境の検問所で、 朝6時の開門を待って、 解放された三人が宿泊しているサツーンのホテルで近藤観司社長が喜びの再会をして、 安堵したのは21日の午前9時を回っていた。 タイ海事警察の特別の配慮で、 簡単な事情聴取と健康診断を終え、 三人を同行し、 サツーンを発ってペナンに向かったと近藤観司社長から電話連絡があったのは昼過ぎだった。
 100名を超す内外の報道陣が待ち受ける中、 近藤観司社長一行がペナンのホテルに到着したのは21日の19時だった。 到着時には、 Mr.Wan マレーシア海事警察司令官、 在マレーシア今井大使、 在ペナン成宮総領事がホテルの玄関前で出迎えた。  
 Mr.Wan の特別の配慮で直ちにマレーシア側の公式事情聴取を彼自身が簡単に行い、 マレーシア報道陣に公式事情聴取が終わったことを記者会見前に説明した。 ホテルの会見場で、 近藤観司社長、 船長、 機関長と三等機関士の三人が元気な姿で出席して、 私の司会進行のもと、 正式なプレス・コンファレンス (記者会見) を行った。 とても圧巻だった。
 記者会見後、 近藤観司社長の肝いりでリラックスした三人を囲み、 現地で人質解放に尽力した関係者も加わり、 中華料理で慰労の会を催し、 拉致期間中の様子や海賊との交渉経緯等の内輸話をした。
 私は苦労したペナンでの最後の夜を安心して迎えることが出来た。
 私が特に感銘を受けたのは、 船長及び機関長は拉致期問中、 携帯電話での連絡で 「解放されたら 『韋駄天』 に復船して、 日的地までの作業台船の曳航を完遂したい。 それがシーマン・シップであり、 船員の任務である」 と言っていた。 船長は解放後も任務が遂行出来なかったことを悔いていた。
 残留乗組員の中で唯一司厨長だけは、 拉致された船長・機関長が無事に開放されて、 元気な姿を見るまで 「韋駄天」 に留まる。 それが海の仲間として責務であると頑固に主張し、 他の海賊襲撃時の乗組員全員 (フィリッピン人を含む) はシンガポールから一時帰国したが、 彼は代行船長及び保安要員の世話をする為、 バタムの基地で 「韋駄天」 に残留し職務を続行した。 全員が襲撃の恐怖で極度のストレスに陥っているにも関わらず、 終始、 冷静を保ち任務を遂行し、 同僚への思いやりの心を持った彼こそは、 真の船乗り根性の持ち主であると、 私は感心した。

「韋駄天」 の回航
 私達がペナンに到着した時、 残留乗組員は襲撃のショックに依る恐怖と極度のストレスで 「韋駄天」 のバタム基地への早期回航が不可能な状態だった。
 近藤観司社長は乗組員の精神的CAREに没頭したので、 マスコミヘの対応とマレーシア海事警察との交渉は全て私に任された。
 私はマレーシア海事警察を訪れ、 司令官の Mr.Christfer Wan 及び北部地区部長 Mr.Sahadan に、 「韋駄天」 乗組員の現状を説明、 バタム基地への回航に際し、 ペナンからシンガポール国境までのマラッカ海峡をマレーシア海事警察の PATROL BOAT で ESCORT して欲しいと依頼したが、 次のような理由で交渉は難航した。
@ 外国籍船のマラッカ海峡での ESCORT は前例が無い。
A マラッカ海峡の一部、 ポート・ケラン沖にインドネシア領域 (約40マイル) が存在するため領海侵犯は出来ない。 従って、 マレーシア海事警察の BOAT は継続して ESCORT することは不可能である。
B インドネシア領域はインドネシア海事警察が ESCORT すべきである。
 しかし、 私の第一印象では、 Mr.Wan 司令官も Mr.Sahadan 部長も誠意ある好人物の感じがしたので、 その後の交渉に希望を持って臨んだ。
 他方、 外務省及び海上保安庁を通じ、 インドネシア海事警察の自国領内のマラッカ海峡で 「韋駄天」 の ESCORT を要請したが可能性は皆無であった。 私は過言ではなく、 日本政府は民間会社が被った、 他国での難問題に積極的支援と早期解決の意向は、 全く無いと判断したので、 外務省及び海上保安庁に対し協力の要請は諦めた。 加えて、 記者発表の方法を巡り、 外務省と一悶着があったり、 省庁からの情報のリーク、 日本政府の対策本部及び現地ペナンの対策室の有力な支援を得られなかったことは非常に残念だった。
     注:事件を通しての提言として外務省、 海上保安庁に申し出た内容を後述する。

 しかし、 日的を達成する為にはマレーシア海事警察に頼るしかない状況下で、 私は次のような主旨を強調し必死に懇願した。
「万一、 『韋駄天』 が単独でマラッカ海峡をバタム基地向け回航中にマレーシア領海内で再度海賊に襲撃されると、 マレーシア海事警察の権威は失墜し、 面目丸つぶれとなる。 そのような事態になると、 私は日本に帰れないだろう、 又、 民間会社は稼働率を良くし、 収益を追求する使命がある。 一日も早く 『韋駄天』 を基地に帰し、 就労に復帰する体制を整えたい。」
 その結果、 3月18日午後、 Mr.Wan 司令官は、 マレーシア海事警察長官の承認を得て、 ESCORT の要請を承諾してくれて私の粘り強い交渉は成功した。 彼のアドバイスに従って、 インドネシア領域を避けポート・ケラン港内を通過し、 全行程をマレーシア領海内のマラッカ海峡をシンガポール国境まで航下することで合意した。 直ちに 「韋駄天」 船長に連絡して了承を得、 ESCORT の難間題は解決した。 私が信頼した Mr.Wan 司令官は協力的で、 公人とは思えない柔軟性のある好人物であったことに加え、 Mr.Sahadan 部長も誠実な人物であったことが難間解決に大いに役立った。 彼等に心から感謝する。
 マレーシア海事警察の絶大なる協力を得て、 「韋駄天」 は代行船長指揮のもと、 大型 PATROL BOAT に護衛されて3月20日17時ペナンを出港した。
 順調な航海で 「韋駄天」 はマレーシア領域、 全行程、 護衛のもと、 3月22日正午前予定通りインドネシア領バタムの基地に無事到着した。
 3月22日、 私は帰国する乗組員を迎える為、 ペナンからシンガポールに赴き、 インドネシアのバタムからフェリーで到着した10名の船員 (フイリッピン人を含む) とフェリー桟橋で会合した。
 シンガポール空港JALの会議室で日本人乗組員の記者会見を終え、 彼等を同行してインチョン経由で23日正午過ぎ福岡空港へ到着した。 ペナン滞在中も帰国の機中でも、 私は機会あるごとに乗組員と会話を交わし、 シーマンシップを説き、 時化の海での危機管理を話し勇気づけたが、 最後まで若い船員の恐怖心を取り除けなかったことが非常に残念であった。
 人質解放後、 現地マレーシア及びシンガポールの海事コンサルタントに事件解決の評価を質問したところ、
「日本船員の拉致事件なので高額の身代金を想像していたが、 地元で報道されている金額〈2千万円〉は平均以下で、 しかも拉致期間は過去の事件に比して最短で BEST TERMS の解決だった。 結果を高く評価する」 と予期せぬ好評だった。
 最後に、 民間会社は収益を追及し、 損失を早急に回復しなければならない使命がある。 未曾有の事件に遭遇した近藤海事が、 近藤観司社長の下で社員一丸となって精神的にも経済的にも一日も早く復活し、 繁栄する事を祈念する。
 事件解決後、 「おかげさま」 がモットーの近藤海事に電話したところ、 女性社員の応対が明るくなり、 真の感謝の気持ちが伝わってきた。 「災い転じて福」 になった感じで、 会社の再建を信じている。

提 言
1.海賊への対応策
@インドネシア・スマトラ沿岸の重点パトロール
AAIS〈自動識別装置〉及び船舶警報通報装置 (SSAS-Ship Security Alert System) の有効活用
B事件発生時、 航空機での捜索
C漁船の登録制と AIS の装備 (簡易 AIS:1台・数万円)
D沿岸国による海賊の組織解明と拿捕
E国際協力によるマラッカ海峡のパトロールと航行安全対策の確立
2.国に対して
@政府開発援助金 (ODA) の使途の確認
Aスマトラ沿岸の(特に北部)特別パトロールの要請
Bスマトラ北部漁業者の実態調査
Cスマトラ地区の貧困農・漁民の支援:養殖漁業や海産物加工施設及び農耕機(トラックター等)の供与等
D官民による情報の収集と対策の検討
E事件発生時、 官民の現地対策室の設置と省庁問の連絡体制の一元化
F情報管理の徹底(省庁からの情報リークの防止)
Gマス・メディアの対応と協力体制 (誠意ある広報)
H現地連絡用の携帯電話及び車の手配

追記:事件の発生に伴い近藤海事が出費した費用について、 P & I Club と2ヵ月半に亘り交渉し、 日本では最初のケースで難航したが、 最終的にほぼ満額に近い経費を保険で補填することで合意に達した。

                                        (筆者・本会関門支部長)