高 木 宏 二 氏 に よ る
『函館商船学校 −その歴史と廃校の考察−』  ご紹介

 函館在住の、 高木 宏二さん (ご本人略歴は末記にご紹介) が、 この程、 題記の貴重な学校史をお纏めになり、 本部にご寄贈を賜った。 明治12年に私立として三菱商船学校 (後の東京高等商船学校、 明治8年創立) に次いで北海道の地に創設された由緒ある本校が昭和10年に至り何故突如として廃校になったのか、 その理由を知りたいとして僅かに残されている資料などをひも解き、 史実を正確に追求し記述された極めて価値のある著書である (非売品)。
 取り纏めに当っては、 本会としても手元資料を提供するなど協力させて頂いたが、 高木さんは本会50年史に見られる俯瞰的な史観を私立函館図書館に保管されている道議会速記録、 学校の 「校友会誌」、 さらに函館新聞記事などで詳細に補完の上、 生誕から廃校までの学校史を完成された。 その熱意ある行動と執筆のご努力に対し、 本会を代表して心よりお礼を申し上げる。
 函館商船学校は、 備考の年表に記されている通り数奇な歴史を辿っている。 明治12年に日高国三石の人、 小林重吉氏により私立学校として創立され、 明治16年県立となり、 明治19年県を廃止された後、 庁立に。 明治21年4月には官立商船学校と称し逓信省所管、 明治23年には東京商船学校函館分校と改称、 明治34年函館分校を廃され同時に北海道庁立函館商船学校となっている。 大正年代から昭和の初めにかけて公立 (地方) 商船学校の実習生は、 官立 (東京、 神戸) 高等商船練習船に比し鮭漁に従事する個人所有の小型帆船に便乗するなどし、 働きながら実習過程を終了するという劣悪且つ危険な実情にあった。 学校所有練習船も小型帆船であって、 各校とも悲惨な海難事故に遭遇し、 それらの遭難が 「国による大型練習帆船建造運動」 へと結集させ、 本会の前身である十一会結成に発展したが、 その目に見える成果であった練習船 「初代日本丸」 は、 処女航海では真っ先に函館に寄航、 函館商船学校を訪れており、 如何に公立商船学校のシンボル的存在であったかが分かる。
 昭和10年3月31日限りで本校は廃止となり、 その一切の施設、 設備は4月1日に開校となった北海道庁函館水産学校に継承された。 関係者が納得したものではなく、 北海道告示による強権的決定であり、 早くも昭和14年には函館市長を中心に函館商船学校復活運動が立ち上がっているが、 太平洋戦争勃発により目的を達せずに終焉している。
 本会では高木さんから頂いた本書を各支部機関にも届け会員に見てもらう所存である。
                                                 (会長 川村 赳)

高木宏二氏略歴 昭和5年静岡生、 昭和28年東京商船大学機関学部卒、 同年日本国有鉄道入社、 青函連絡船機関士・機関長・船舶関係業務に従事。 青函連絡船OB会会長。]