大型模型帆船 “北 光 丸”
    
      1月24日、新装なった横浜大桟橋国際客船ターミナル・大ホールに展示される

      
                         再展示された「北光丸
 本協会が、 創立50周年記念事業の中核となる事業として取り上げ、 その修復に精力的に取り組み見事に歴史上の貴重な遺産として艤装・復元させ、 平成元年、 横浜港振興協会に寄贈した“北光丸”は、 関係各位のご努力により、 「ミナト・ヨコハマ」 の玄関口である大桟橋の客船ターミナルに展示されることとなった。
 大桟橋は、 昨年、 客船のウッドデッキをイメージする斬新な施設に改装され、 ハマの大人気を呼んでおり、“北光丸”には願ってもない終の住み処となった。
 本協会横浜支部(右松治支部長)は、 1月31日、 この本格的展示にご尽力頂いた横浜港振興協会ならびに横浜市港湾局の方々、 さらに修復作業の原動力となられた修復委員会ならびに帆船模型同好会の方々をお招きし、 大桟橋国際客船ターミナル・ホールにおいてにぎやかに慰労会を開催した。
 席上、 右松支部長は主催者を代表し 「北光丸は皆様のご理解を得て、 ようやくここに展示されることとなった。 これからも永きにわたって保存・展示され海事思想の普及に貢献できるように各位のご協力を賜りたい。」 と挨拶した。 引き続いて川村会長が 「北光丸は関係者の大変なご努力によって復元できた。 この船が日本を代表する港湾都市横浜の、 しかも世界に開かれた素晴らしい大桟橋に保存・展示されることになったのは北光丸にとって最高の幸せである。 今夜は慰労会というより感謝会の思いで出席した。」 と謝辞を述べた。 これを受けて、 来賓を代表して横浜港振興協会の田中修専務理事が、 「北光丸が誕生したのは90年前の昔である。 横浜港は日本の開港の玄関口であるから、 修復後は是非ともこの船を展示させていただきたいと念じてきた。 大桟橋は内外の客船や大勢の市民の集うところであり、 この展示はきっと親しんでもらえると思う。 市民も今後、 この船を育てていくだろう。 大切に展示させていただきたい。」 と応えられた。
 慰労会には、 金丸信次郎さん、 志村嘉則さんなど大変なご努力をいただいた横浜帆船模型同好会の方々、 橋本進さん、 松井邦夫さんといった修復実行委員会のメンバーもお元気で出席され、 参加者や新聞記者の面々の質問に答え、 終始にこやかに、 そして誇り高く修復時の苦労話やエピソードなどを紹介されていた。
 編集委員会は、 この機会に北光丸の発掘から展示に至る経緯をダイジェスト的にまとめて報告することとした。 本部には貴重な資料、 写真、 新聞記事などが保管されている。
                                                   (編集委員会)

北光丸発掘の経緯

 昭和56年1月全日本船舶職員協会は 「50年史編纂」 に当たり、 その資料収集・調査のため本部事務局次長松田耕太郎氏を北海道函館水産高等学校に訪問させた。 同校中山清太郎教諭から函館商船学校当時の状況を取材している中で、 同校教材倉庫に商船学校当時の机上訓練用模型帆船が保管されていることを伺い、 それを見せて頂いた。 倉庫に保管されている模型帆船を見たところ、 3本マスト・シップ型の船型で、 マストは全損、 バウスピリット欠落、 ヤード・帆布等の一部離脱・破損、 マストなどを纏めて雑然と甲板上に置かれており、 船名もはっきり北光丸”であることが確認できた。
              
                         発掘された当時の北光丸
 同教諭の説明によると、 模型帆船は中山教諭の祖父 (帆船乗り) が艤装責任者となり、 明治後期に着手し大正初期に帆船乗り並びに、 船大工によって本格的艤装を行い、 大正2年9月に函館造船所で完成し、 函館商船学校の机上実習教材として同校が廃校となる昭和10年まで使用されていた。 その後、道立水産学校になってからは倉庫に保管されたままとなり、 昭和20年10月に同校が米軍に接収され、 その移転時に破損したり部品の一部が散逸している。 米軍接収解除後、 道立博物館に寄贈する案が出たが修復技術の点で立ち消えとなり、 同校の倉庫にそのまま保管されたままだ、 という。
 松田耕太郎事務局次長の報告により、 全船協では関係者と検討・調査を行なった。 そこで、 この種の大型模型帆船は国内ではほとんど現存せず、 机上操帆練習船の活用経緯からみて、 やや小さい型ながら富山商船高等専門学校に保管されている教材用模型帆船“鳳翔丸”や、“射水丸”の写真を取寄せて比較してみた。 その結果、 大型模型帆船は非常に貴重なものと判断され、 鳳翔丸、 射水丸の写真は修復の参考資料とすることとした。
 昭和56年5月、 全船協は北光丸を50周年記念事業の一環として修復・復元し、 しかるべきところに展示して海事思想の普及に資することを決め、 北光丸修復委員会を設置することとした。

函館から横浜への搬送

         
          大成丸から陸揚げ中                  横浜船員会館に搬入した時
  “陽の目をみせたい”旨の水産高校側の意向を汲み、 全船協が 「展示場所」 を捜したところ、 新築したばかりの横浜海員会館 (福島俊策館長) が展示受け入れの意向を示された。 これに応へ全船協は模型帆船の搬送について検討し、 航海訓練所 (荒所長・当時) の練習船にお願いすることとした。 航海訓練所訓練部長 (児玉部長・当時) に事情を説明し搬送について、 お願いに伺がったところ快くお受け頂いた。 当時、 練習船 「大成丸」 (橋本進船長・当時) は、 折り良く函館から横浜向けに実習航海の計画があった。
 “北光丸”の搬送については、 函館港での積込みは函館商船学校同窓会 (津村茂会長・当時)、 全船協函館支部 (向井晟伍支部長・当時) が函館水産高校側と折衝を行い、 向井函館支部長が主体となって昭和56年5月15日 「大成丸」 への積込み作業を実施することとした。 横浜港での揚陸については横浜支部 (松井邦夫支部長代行) が主体となり5月20日と決め、 本船から横浜海員会館まで移送し同会館の車庫に保管された。

横浜へ搬送後の全船協としての対応

 昭和56年5月23日、 全船協は 「創立50周年記念事業の一環」 として和田会長を委員長とする北光丸修復委員会を正式に発足させた。 委員会は、 橋本進船長並びに、 横浜帆船模型同好会内藤秀夫会長に修復に関して折衝し、 北光丸の調査・検討を依頼すると共に、 修復委員会の委員に加わって頂くよう協力を要望したところ快く受け入れて頂いた。 このような経緯をたどり北光丸の修復を進めていくこととなった。
 修復委員会並びに、 帆船模型同好会が改めて北光丸を調査したところ、 修復にはかなりの日数と費用が掛かることが判明した。 また、 北光丸の基本的な設計図がなく、 橋本進船長並びに、 住友重機械工業 (株) にお願いして一般配置図を作成して頂くこととした。
 修復委員会は、 (1)元の操帆訓練用の艤装に近づける方向で修復する。 (2)修復の労力については、 より多くの方々の奉仕参加をお願いする。 (3)機材費等の実費経費は免がれないが、 その財源は、 修復への財政的な参加ということで広く寄付・カンパを募ること。 また、 模型帆船北光丸の由来、 修復の経緯とその財政的、 労力的奉仕協力者を明らかにし、 永久に保存する等の方針を決めた。 海事に全くかかわりのない方々の労力もお借りしながら、 具体的活動に入ることを決め、 横浜地区を中心とする横浜帆船模型同好会有志の篤志者により再生を試み、 修復完了後は北光丸の由来を銘記し、 横浜海員会館に展示することを目標とした。

修復作業と修復一時休止

 昭和56年6月から修復委員会は帆船模型同好会会長内藤秀夫氏を修復実行責任者として帆船模型同好会から数名の参加・協力を頂き修復作業に入った。
 修復には北光丸各部の脱落部品、 散逸部品、 ヤード、 マストの一部、 バウスピリット、 セール、 テークル、 ステイ、 シュラウド、 ロープなど部品のチェック、 それらの寸法の割出しや見取図などを画きながら、 それぞれの担当を決め、 部品の制作、 部品修理など数えきれないほどの数と根気の要る作業を実施して頂いた。 これら部品は全て手造りでしなければならず、 同好会の方々の献身的な熱意で順次作業は進められ、 昭和57年11月頃まで部品修復と製作に月日が費やされた。
 一方、 船体は6m以上もあり痛みも激しく、 材料の吟味と調達、 修復方法などを検討した中で、 外板や甲板の破損部の張替え等、 専門家 (船大工) の手が必要と判断され、 修復委員会はヨット、 小型舟艇などを専門に建造・修理する岡本造船所と折衝し修復の依頼をすることを決めた。 しかしながら、 その修復費の捻出に寄付・カンパが思うように集まらず、 修復の継続には困難が生じてきた。
 昭和58年にはいり船体修復費の捻出、 横浜船員会館館長の交替等により事情が変転し、 修復作業は一時中断するに至り、 北光丸は横浜船員会館の事情 (消防法の関連) で置き場所を横浜市港湾局の管理する2号赤レンガ倉庫に保管せざるを得なくなった。

修復作業再開

 昭和62年7月に至り修復委員会が再開され、 この時点で修復委員会の下部組織として北光丸修復実行委員会を誕生させ、 修復実行委員長に橋本進氏を、 副委員長には内藤秀夫氏、 委員に松井邦夫、 内藤孝之 (横浜支部事務局長) の各氏の外、 帆船模型同好会から数名を選任して修復を再開することとした。
 同年8月に入り修復実行委員会は、 船体修理をするため岡本造船所と折衝を始めたところ、 夏場はヨットの修理などで多忙のため冬季なら引き受けて頂けることが判り、 修復実行委員会は正式に岡本造船所に修理依頼をすることとした。
 岡本造船所での修復個所は、 船体、 マスト、 バウスピリット、 ヤード等で次の様に修復することとした。
船 体:  船体にはピンレール、 ファイフレール、 ハンドレール、 チャンネル、 舵を含む。
 外板はできるだけ古材を残し、 隙間は充填材で補修し、 補修後船体は研磨し塗装する。
 ピンレール、 ファイフレール、 チャンネルの木部の破損部分は補修し、 金具は整形し、 錆
 落しを行い塗装する。
 ハンドレールは支柱及びレールを新たに製作し取り付ける。
 舵はヒンジを作り船体に取り付ける。
 甲板は古材を用いるが不良箇所は同材で補修。 プープデッキの舵柱の穴は埋める。
マスト:  マストは住友重機の図面に従って復元する。 不足しているキャップ及び、 ヤード取付け金
 具は新たに製作する。
 トップ、 ゲルントップは破損、 紛失しているので新たに製作する。
ヤード:  ヤードは調査の上不足品は新たに製作する。 ヤード点検時には既に完成しているセール
 と合わせる。 (セールは、 橋本船長が練習船大成丸土井田甲板長、 坂田甲板手等の協
 力により練習生の製帆実習訓練のため作製依頼して、 昭和57年3月に35枚が完成した)

 岡本造船所における修復作業は、 昭和62年10月17日に搬入し、 昭和63年3月末までに修復を完了することとした。
 この時点でも、 艤装及び据付完了迄にはかなりの部品や経費が必要とされ、 艤装関係では、 レッドアイ 約100個新規製作、 ブロック 約500個新規製作、 ビレーピン 約100本新規製作、 シャックル 約100個新規製作、 ロープ類、 ステイ部分はステンレスを使用しこれに銅線を外側に巻く作業などが残っていた。 多くの部分で手製が必要とされ、 これらの部品は同好会メンバーがそれぞれ分担して製作していった。 特筆すべきはロープやブロックの作製で小型の旋盤や特殊な道具を組合せたり、 独自の工夫によって工作機を作り様々な試みを重ねたことである。
 63年4月初旬、 船体を岡本造船所から受け取り、 船体、 マスト、 ヤードなどの艤装のため、 北光丸を横浜大桟橋埠頭に移し、 修復実行委員や帆船模型同好会の方々の手により本格的な艤装作業に入った。 この作業は、 ヤードの取付けや帆とマストのロープ張り、 各ブロックへのロープ通しなど、 細かい大量のロープを間違いなく張って行くため、 細心の注意が必要であった。 これらの作業には、 橋本進船長が見取図や作業手順を細かく書き留め手助けしてくれた。 こ
のため作業者それぞれがロープを張る順番やブロックに名札        大桟橋にて艤装作業
を付けたり、 ロープを通す順番を間違わぬよう、 あらかじめメモ用紙に記載して作業を進めていった。  更に、 マストが3m以上にも及ぶため脚立や足場材、 足場板を設けて作業をして行った。
  全ての艤装作業が終了した昭和63年12月10日、 和田会長は橋本進船長、 内藤秀夫帆船模型同好会会長、 修復作業に携わった関係者を招き、 氷川丸船客特別サロンにおいて北光丸修復完成慰労会を開催し関係各位の労をねぎらうとともに、 各位から修復の苦労話や技術的な面などをお聞きしている。
 「氷川丸」船客特別サロンにて慰労会


横浜大桟橋国際客船ターミナルに展示された経緯

 当初の計画では、 新装された横浜船員会館に展示して末永く保存することであったが、 同会館の事情で取り止めとなった。 このため、 北光丸修復委員会は横浜市港湾局と折衝することとし、 その中で、 全船協は 「全船協設立50周年記念事業」 の一環として、 北光丸の修復完成のあかつきには横浜港振興協会に寄贈し、 寄贈後は北光丸を適当な場所に公開展示して海事思想の普及に役立たせてもらいたい、 との考え方を明らかにした。
 横浜港振興協会は、 近い将来大改造して横浜港の表玄関となる大桟橋国際客船ターミナルの一角に設置することを了承し、 展示の条件等については横浜港振興協会側で検討して頂くこととなった。
 平成元年2月17日、 和田春生会長は横浜港振興協会上野豊会長を訪れ、 正式に贈呈の文書を手交し、 模型帆船“北光丸”は横浜港振興協会に寄贈された。 このことにより同日付けで全船協に対し、 横浜港振興協会より感謝状が贈られた。 また、 同日付けで、 全船協は絶大なる協力を頂いたとして岡本造船所に対し感謝状を贈った。
 寄贈された“北光丸”は横浜港大桟橋客船ターミナルの一角に展示されていたが、 平成10年からターミナルの改装工事により一時新港埠頭に保管されることとなった。
 平成15年1月24日、 “北光丸”は大改装された横浜大桟橋国際客船ターミナル2階大ホールに、 再びその優雅な船体を現した。
 以上の経緯により1月31日、 右松治横浜支部長は、 関係各位に感謝の意を込め、 横浜市港湾局、 横浜港振興協会関係者並びに、 当時の修復関係者を大桟橋国際客船ターミナルに招き、 これまでの労をねぎらう宴を催したものである。
 以上の経過をたどり、 北光丸は再び大桟橋国際客船ターミナルに展示され陽の目を見ることとなったが、 その間にこの感激に会うことなく逝去された和田春生元会長はじめ、 内藤孝之横浜支部事務局長、 内藤秀夫修復実行委員会副委員長、 福島俊策同事務局長、 及び、 資材調達にお骨折り戴いた小松政幸横浜模型帆船同好会会長の5氏には心から哀悼の意を捧げる。
        
      横浜港振興協会における贈呈式                 修復された「北光丸」

            北光丸修復委員会名簿 (昭和56年5月23日委員会発足時)
  氏 名 役    職
委 員 長 和田 春生 全日本船舶職員協会・会長
副委員長 松井 邦夫 関東マリタイム常務取締役・横浜支店長
事務局長 福島 俊策 横浜海員会館・館長
委  員 香河 直祐 全日本船舶職員協会・専務理事
委  員 橋本  進 運輸省航海訓練所・大成丸船長
委  員 内藤 孝之 横浜市港湾局新港埠頭事務所・主査
委  員 内藤 秀夫 横浜帆船模型同好会・会長
委  員 正垣 昌宏 ソニー株式会社・PRセンター
委  員 松田 耕太郎 全船協・事務局次長
                         (以後、 委員の交替があったが省略する。)

           北光丸修復実行委員会名簿
                          (昭和62年7月23日実行委員会発足当時)
  氏 名 役   職
委 員 長 橋本  進 東京商船大学・教授 (元大成丸・日本丸船長)
副委員長 内藤 秀夫 横浜帆船模型同好会・会長
事務局長 内藤 孝之 (社) 海洋福祉協会・専務理事
委  員 松井 邦夫 全船協・横浜支部長代行
委  員 正垣 昌宏 横浜帆船模型同好会・事務局長
委  員 渡辺  晋 横浜帆船模型同好会
委  員 渡辺 秀雄 (社) 船舶職員養成協会
委  員 佐藤 幸男 横浜帆船模型同好会

                    北光丸修復作業参加者名簿
氏 名 作 業 内 容
渡辺 秀雄 リギング指導
佐藤 幸男 リギング指導及び実施
内藤 秀夫 艇体部修理に関する監督、 折衝、 会計事務・記録、 その他
渡辺  晋 船体修理のため岡本造船所との折衝及び艤装全般の指導、 実施
正垣 昌宏 塗装指導
鈴木 雄助 滑車製作、 リギング実施、 木工作製作取付け
武川 伸治 リギング実施、 塗装実施、 部品購入、 その他雑用
神林  晃 マスト、 ヤードの修復
宮島 俊夫 船首、 船尾の唐草模様の彫刻制作
志村 嘉則 ステーのサービング用工具の製作その他道具、 冶具の製作
金丸信次郎 リギングロープの製作、 リギングの記録制作
        その他、 小林正博、 小松政幸、 福田正彦、 小城宏之、 平野清治の各氏に材料、
         足場等でお世話になった

               “北光丸''の展示プレートは、下記の通りである。
              模型帆船  「北 光 丸」

 この模型帆船は、旧函館商船学校(明治12年開校)で生徒の机上操帆訓練用教材として大正
2年(1913年)に製作され、展帆、畳帆や索具の取扱等を訓練し、幾多の商船士官育成のた
め貢献した由緒ある船です。
 昭和10年同校廃校に伴い、現在の函館水産高校に引き継がれ日の目を見ないまま埋もれてい
たものを、昭和56年社団法人・全日本船舶職員協会(全船協)の創立50周年記念事業の一環
として、海事思想の普及に役立たせようと譲り受け、運輸省航海訓練所練習船「大成丸」で
横浜港に運ばれました。
 その後、全船協内に「北光丸」修復委員会が組織され船体補修の後、横浜帆船模型同好会が
艤装をおこない、復元の後、社団法人横浜港振興協会に寄贈されたものです。
                                       (社) 全日本船舶職員協会
                                       (社) 横浜港振興協会
                                       横 浜 市 港 湾 局

           Sail-ship Model "HOKKO-MARU"

   This sail-ship model was originally made in 1913 by the former Hakodate Nautical
  School as the teaching material for handling the sails, such as loosing all sails,
  making fast all sails and gears. This historic model ship thus had contributed to
  train a great number of merchant officers.
   After the closing of the Hakodate Nautical School in 1935, the ship was taken over
  by Hakodate Fishery High School where the model was left in storage for many
  years. In 1981, the ship model was inherited by the Japan Maritime Officers'
  Association and carried to the Port of Yokohama by the Training Ship
  "Taisei-maru", institute for Sea Training, the Ministry of Transport to commemorate
  the 50th anniversary of its establishment and to further promote the maritime
  interests among citizens.
   Later, the restoration committee was established among the members of the Japan
  Maritime Officers' Association. After the repairing of the ship's hull, the model
  underwent further restoration by the Yokohama Sailing-ship Modelers Club and was
  presented to the Port of Yokohama Promotion Association.
                              Japan Maritime Officers' Association
                              Port of Yokohama Promotion Association
                              Port & Harbour Bureau, City of Yokohama

北光丸 の主要寸法について

 発掘当時、資料も図面もなく模型の船体、マストの一部、及びヤードの一部だけでした。修復に必要な概略を知るため、専門家の意見をお聞きし、住友重機械工業鰍フご好意を頂き一般配置図(側面図及び正面図)を作成して戴いておりますが、その図面に主要寸法として下記の記載があるだけです。

       模型の 主要寸法

  船体全長(バウスプリットより)  6m53p
  全  幅               79p
  マスト高さ(基本線上)(模型船底からの高さ)
    フォアマスト         3m16p
    メインマスト         3m26p
    ミズンマスト         3m12p

 この模型帆船“北光丸”はどこの帆船をモデルにしたか不明で、模型には船底の一部分がなく(扁平に製作されているため)、机上操帆教材用として製作されたもので、主要目、トン数なども資料が無いため不明です。