「TAJIMA」事件で提起された重大な問題


    国際法、国内法の解釈や法制度の盲点、迅速に進まない政府間対応の遅延に翻弄され、
    事件現場で重い責務を負わされ続ける船長の立場として。


                          日本船長協会 専務理事
                               大河原 豊重  
 去る4月7日、パナマ籍VLCC「タジマ」(保有・日本郵船の海外子会社、船舶管理・共栄タンカー)でショッキングな事件が発生した。その経緯は本誌「海事ニュース」に掲載しているが、公海上にあった日本人6人、フィリピン人18人が乗組む本船で、日本人二等航海士が殺害されたのである。その後この事件は、日本政府に捜査管轄権がないことを事由に本船乗組員が被疑者を船内で拘束するという異常事態が1カ月以上にわたって続き、結局、パナマ政府からの請求に基づき、海上保安庁がフィリピン人2容疑者を拘束したのは、5月15日に至ってであった。この間、政・官・民の当事者にあっては、容疑者の早期収監を第一義に国内外の折衝を続行したが、外国籍船内で発生した犯罪への対応の盲点が次々と明らかになり、FOC船隊の脆弱性が如実となった。
 この不幸な事件の一連の経緯の中で、特に衆目を浴びた船長の職務と責務について、(社)日本船長協会専務理事・大河原 豊重さんが「海運・7月号」(日本海運集会所発刊)に船長としての貴重な見解と船舶乗組員の人権擁護に対する法制上の欠陥を厳しく糾弾する主張を寄稿された。将来の秩序ある海運の発展とこの種事件の再発防止を願い、本号にご本人の快諾を得て転載させていただくこととした。改めて厚くお礼を申し上げる。
 平成14年4月7日航海中のタンカー「TAJIMA」で大変不幸な事件が発生した。二等航海士が行方不明となり、その後フィリピン人船員2名により殺害されたことが判明、被害者のご家族の御心痛いかばかりか察するに余りある。

 またこの事件の処理にあって、船長、船舶管理船社のご苦労は並大抵のことではなかったことは、遅々として異常事態の解消が進まず、犯人を官憲が引き取るまでに長期間を要した状況をその間の諸報道を読み十二分に理解できる。

 民間で出来る対応をはるかに超えた困難な問題が顕在化したため、港に入港しているにもかかわらず、民間人の船長の職務権限のみで殺人容疑者2名を船内に拘束、監視しなければならない異常な事態が、一ヶ月以上の長期間にわたっての継続が余儀なくされた。この間の船長の重責と心労は大変なものであり痛恨の極みであったと推察される。
 
 この事件の孕む問題が国連海洋法条約等による対応となったため、我国は捜査管轄権が及ばないとして、運航船社、船主協会、海員組合等から関係省庁に対する度重なる要請や報道関係などによる問題提起も結局は一方通行となり、早期解決に至らなかった。
 結局、姫路入港後一ヶ月以上を経過後、漸く5月15日にパナマ政府からの容疑者仮拘禁請求により、被疑者2名の身柄を第5管区海上保安本部が拘束、本船から下船させ、東京高検に引き渡して、本船は長期間の停泊を解かれ、船長も長くつらい重責務からやっと開放されたのである。
 
 公海上の事件について国連海洋法条約の定めによる捜査権限や国家間の捜査共助法、逃亡犯人引渡し法などに基づく国際的な司法手続きについては、我国政府は規定どおりの処置を取り、関係国であるパナマ政府への必要な対応をおこなったのであろうが、とても円滑に処理されたとは云い難い。
 
 この異常な事態について「国際海運が使う便宜置籍船における法制度の盲点である」との指摘はその通りであろう。しかし「運航船社はこのようなリスクを承知した上でFOC船を運航しているのだ」とか「FOCけしからん」等のコメントは、現実の外航海運・運航船の実態の中で、身の危険すらかえりみず責任を一身に負って現場を管理している船長にとっては、なんとも第三者的な建前論評としか聞こえない。
 外航船舶において残念ながら今後も起こりうるであろうこの様な危険な状況を早期に解決し、危険事態を放置しないための対応策を見出す姿勢は感じられず、その場しのぎの体面のみの指摘であり、そこには最重要であるはずの乗組員の生命や人道的な処置をまず優先して考えることなど頭になく人間性を疑いたくなる。
 
 外航船舶の実態
 
 現在、我国の輸出入貿易の99.7%(量ベース)を担っている外航海運において、日本人船長が乗船している船舶の国籍は、外国籍船が主体となっており日本籍船は30%以下である。
 
 船長協会の外航船実態調査による日本人船長乗船船舶の国籍
 (平成13年4月1日〜30日の間、我国主要港に入港した外航船舶の実態)
 
日本人船長乗船船舶の国籍 隻数 割合
パナマ 137隻 59.3%
日本 66隻 28.6%
リベリア 19隻 8.2%
シンガポール 4隻 1.7%
バハマ 2隻 0.9%
バヌアツ 2隻 0.9%
マレーシア 1隻 0.4%
合計 231隻 100.0%

上記の通り、いまや日本人船長は、その70%が外国籍船(いわゆるFOC船)に乗船し、我国の輸出入貿易の輸送を支えているのである。

また、この調査(平成13年4月の1ヶ月間)で我国の主要港に寄港した外航船、1,413隻の国籍は56ヶ国にわたり、その半数以上がFOC(便宜置籍船)である。日本籍船はわずか5%に過ぎない。
船長の国籍も51カ国に及んでいる。これらによって我国のエネルギー、原料、食料、製品等の国際貿易が成り立っているのである。
船舶国籍 籍数 割合
パナマ 590隻 42%
リベリア 106隻 7%
日本 66隻 5%
シンガポール 65隻 5%
バハマ 50隻 4%
その他香港、フィリピン、キプロス等 538隻 37%
1413隻 100%
     
この実態から我国の貿易、経済はFOC船を主体とする外国船、外国人に頼り切っており、その中で頑張っている日本人船長は外国籍船で外国人船員を指揮し、船舶の運航に携わっている事が、お判りいただけるであろう。
     
     
 船長の船内警察権限の限界
 
 船舶は航行中、人命や船舶の安全が阻害される緊急事態が船内で発生した場合、いずれの国家からも離れているため、警察等の支援、援助を請求できない。
 そのため船長は船内警察権限をもたされ(我国の船員法のみならず、パナマも含め、各国共通法と理解している)その権限を行使して、船内の安全を維持するため必要な一切の処置(犯罪行為の場合、証拠の保全、犯人の逮捕、拘束などを含む)を行わなければならない。
 船長が警察権限を行使しなければならない事態は、闘争、暴行、傷害、強盗、殺人、密航、海賊、テロ行為など危険な状況が船内で発生した場合であるが、船長は武器はもとより警棒も現在は手錠すら船内に備えておらず、唯一職務権限のみでこれらの事件に対処しなければならない。
 犯人を拘束する拘置設備がある船など皆無であり、船長は徒手空拳で大変に危険な職務を遂行するのである。
 勿論、自分の生命を賭してまで警察権限を実行するかどうか、困難な決断も船長自身で判断しなければならず、義務とはいえ出来るなら、そのような局面に出会いたくないのが、全ての船長の偽らざる願いである。
 しかし航行中の船内事件については、この重責から逃れることはできない。危険かつ困難な職務であり、実際に遂行する場合は問題も多い。
 乗組員の生命の安全、船舶の安全航行の維持、船長の警察権限を何時まで行使しつづける事が出来るか、当然そこには限界がある。
 従って、法は船長が行政庁に対して、援助を要請することができると規定しており、行政庁は船長から援助の請求があった場合は、援助を拒んではならないとされている。
 航行中の船舶においては、援助を受けることは出来ない場合が多いが、港に入れば行政庁の援助を受け、速やかに乗組員は危険状態から開放され、船長も重責が解かれるのは、至極当然のことであり、船舶乗組員にとっては命を守るための人道上の権利である。
 
 人道上の処理に悖る政府対応
 
 今回のTAJIMA事件では、事件が発生した4月7日からの本船、運航船社の対応、日本の関係省庁、パナマ領事館の対処の概要が報じられているが、4月9日船長の援助要請により、石垣島沖の洋上において海上保安官6名がヘリコプターで乗船、その後他の保安官4名と交代しつつ、船内の治安維持にあたってくれ、航行の安全も維持されて無事姫路港に入港、直ちにパナマ共和国の国際捜査共助法に基づく要請により、姫路海上保安部による捜査、現場検証が開始されたとの報を読み、さすが我国の役所は適切、迅速に対処すると安心したものである。
 ところが14日に捜査が終了し保安要員も含め保安官全員が下船、犯人は再び船長による船内拘束となり、法務手続きが難航して日本の官憲による仮拘束の処置もとられず、長期間放置されることとなった。
 さすがに本船、運航船社、船主協会から悲鳴に近い緊急処置の要請が再三出され、また労働組合やマスコミも問題提起したにもかかわらず、日本、パナマ両政府の対応は全く迅速性にかけるものであった。
 法律の解釈や外交手続きについて、うんぬんするつもりはないが、船長、乗組員、むろん犠牲者となった二等航海士とご遺族にとって人間としての人道的な扱いがなされたのか?人権を無視した耐えがたく長期すぎる異常事態であったことを、政府はどのように考えているのであろうか。
 
 日本人が殺され、その殺人犯人2名が拘置設備もない船内に留め置かれ、善良な乗組員は同じ船内で犯人と生活を共にさせられているのである。港に停泊中にもかかわらわらず、一民間人である船長のみに殺人犯の拘束と監視を委ね一ヶ月以上も放置するなど、非常識を通り越し怒りすら覚える。
  他国の亡命者の人道問題を声高に取上げるのもけっこうであるが、肝心のお膝元で人道上問題ある事件が起こっているのに勇気ある外交努力も行わない政府はどこを向いて仕事をしているのであろうか。
 「FOC船の盲点である」などの説明で済まされる問題ではない。外航船舶の運航実態が大きく変わった今、多国籍の乗組員が乗船しているためにどの船でも船長の人事管理は非常に困難である。
 外航船舶でこの様な不幸な事件が再発しないように、相当の対策と注意努力が払われているが、今後絶対起こらないとは云い難い、また外部からの危険進入である海賊や海上テロの危険にもさらされており、残念ながらこの種の危険な事件の再発は避けがたいといえる。
 便宜置籍船の問題に関わらず、外航船舶の乗組員は、法律によって守られていない場合もある。国際海洋関連法が必ずしも船舶乗組員の生命、人権を守っておらず、むしろ今回の事件でこれら国際法の欠陥が浮かび出たのである。
 我国は国内法や解釈を早期に検討して、この種事件に迅速に対応できる方策を構築願いたいし、IMOや国際法関連の機関で問題を提起し、国際法の盲点、欠陥を是正する努力をぜひ開始していただきたい。
 困難な局面で単身対応しなければならない外航船の全船長からの悲鳴として取上げて欲しい。
 今回は日本人が被害者であり、FOC船ではあるが日本人船長が乗船していた船での事件であったが、全員が外国人船員のFOC船(我国に寄港する外航船舶の大半)で同種の事件が起こり、日本の港に入港して船長からの援助要請があった場合、我国政府はどのような対応をとるのであろうか?
 今回同様パナマ政府の事として面倒な事態に関わるのをひたすら避け、体面だけを取り繕い、とりあえず取るべき人道的処置すら避けるのが我国の基本方針なのか?
 それでは外航客船、クルーズ船(パナマをはじめとするFOCの客船はいっぱい走っている)の船内で公海上危険状況が発生し、旅客に危害が及ぶ恐れがあるとして横浜なり神戸なりに入港、船長から援助要請があった場合我国はどうするのか、船員でない場合は緊急処置を取るのであろうか、
 テロ、海賊などで外航船舶は危険に遭遇する機会が多くなりこそすれ減少する期待は持てない状況にある。対症療法ではなく我国がリーダーシップをとり、国家として危険対応する法的裏付けと方針をしっかり定め、21世紀は無法の海を秩序ある海にしなければならないと切実に願う。