内航海運の船員確保問題に思う

秦 一生       

日本殉職船員顕彰会常務理事  

元海員組合内航局長    

はじめに

 内航海運における船員確保問題が叫ばれて久しい。平成3年前後のバブル期には、その不足が船舶の運航に影響を及ぼすまでになった。これを救ったのが国際漁業の規制や200カイリ問題等によって大量に失業を余儀なくされた漁船員(一部外航船員も含む)であった。これ等の船員は「即戦力」として大量に内航に転職されていった。

 その後、バブルの崩壊によってわが国は、構造不況といわれる長期の景気低迷が続き、内航の輸送量も減少、船腹の余剰によって船員の絶対数は余剰傾向が続き今日に至っている。

 バブル期に、構造的に内航船員不足として官公労使によって取り組まれた対策も、その後は鳴りをひそめ先送りされている。

 内航海運(フェリーも含めて考える)の船員問題は、構造的要因を伴って底流としては確実に不足化へと流れている。関係者の対策も、その時々の現象にとらわれず、本質を踏まえた中、長期の対策が不可欠である。

 また、四囲を海に囲まれた、海上輸送なしには生きられない海洋国家でありながら,

外航海運における日本人船員が限りなくゼロに収れんしていこうとしている現在、海洋国家として最低限の海技者集団を確保し維持していくという見地からも、内航船員問題は考えていく必要がある。

このことは同時に、わが国の船員養成教育とも深くかかわっている。このような見地から、現状のみにとらわれず、わが国の船員事情の変遷も含めてレンジを拡大し内航船員問題の本質、業界や行政などが取り組むべき対策について私見を述べ、大方のご参考になれば幸いだと思う。

船員事情の変遷

 わが国は戦後、崩壊の中から復興に向かって力強く立ち上がっていったが、そのために不可欠だったのが海運・水産であり、船腹の整備と船員の養成であった。特に、昭和30年末には、外航、内航ともに海運再建整備法が制定され、なかでも外航海運については、中核体を頂点とする業界の再編と中、長期の海運政策が策定された。

 これに伴って船員の養成(増加)計画が文部省も含めた海上安全船員教育審議会(安教審)の検討を経て打ち出された。その内容は、商船大学、商船高専,海員学校に対する海運政策に見合った船員養成の強化策であった。

 一方、昭和40年の初めごろより、住宅産業の急成長に伴って南洋材を運ぶ2,999総トンクラスの近海船が、愛媛などの地方船主によって次々に建造され、必要船員確保に向かっての養成ニーズはピークを向かえた。

 しかし、これに応えて入学定員の拡大等を図り、その要請に対して取り組んできた各教育機関が、卒業生として業界に新規船員を送り出すころには、外航海運は既に今日の「脱日本人船員化」の模索を始めていた。昭和40年の中頃には、近海船分野で外国人船員の配乗を目的としたマルシップが出現、急激な増加へと走り出していた。また、便宜置籍船への動きも次第に現実味をおびはじめ、海事関係者の中でこれを巡っての論議が活発となっていった。そしてこの動きは、昭和47年の92日におよんだ海員スト、昭和49年のオイルショック等を契機に、もはや外航海運の本流となっていった。

 その結果は、大量の日本人船員をリストラする緊急雇用対策(緊雇対)へと流れ、残念ながら全日海を始め各種船員団体もこの流れを止めることができず、今日に至っている。

 このような背景の中で内航海運も心理的な面も含めて船員の余剰、雇用不安というなかで昭和50年代半ばまで推移した。この外航海運の大変換と運輸行政の無策に怒ったのは、文部省(当時)であり船員教育機関であった。「学校は出たけれど」という言葉のとおり、これ等教育機関の卒業生は、海上職場への就職の場を失ってしまった。

 私は当時、全日海に勤務し船員教育問題や水産高校の一部を内航船員養成に転換するなどの問題で文部省と幾度か話す機会があったが、文部省の海運や運輸行政への不信は想像以上に強く「二度とだまされない」という強い雰囲気を感じた。「内航は違うんだ」と再三理解を求めても、なかなか理解してもらえなかった。

 文部省等のこのような考えがその後、大学や高専の教育にも深く現れ、今日では商船大学の一般大学との統合、商船高専の変貌へとつながっていったと思う。海員学校や航海訓練所等は、少しあとでふれるが内航船員対策へと方向を変え、規模の縮小はあったものの生き残りを図っていった.

立ち遅れた内航船員対策

 このような船員社会が「雇用不安の代名詞」みたいに言われていたこの時期、昭和54年10月の内航海運新聞は、「内航海運に船員不足の珍現象」という見出しで一文を掲載した。

 私は当時高知で勤務し、内航の船員不足は根が深いものであると考えていただけに、この記事はショックであった。業界誌がこのような見方をしているということは、業界も同様の認識であるということでもある。しかし、不足化が進んでいる内航海運の船員問題は、決して「珍現象」ではない。早く関係者がその本質を踏まえ抜本的対策に取り組まなければ、対策は手遅れになるという危機感から全日海の機関誌「海員」に投稿、船員不足は決して珍現象ではなく、構造的に進行していたものが水面上に現れ始めたものであり、関係者による早急な取り組みが必要である旨、いくつかの資料を交えて訴えた。

果たせるかな、内航の船員不足は次第に深刻になっていった。わが国の経済も、第一次、第二次のオイルショックを経てようやく回復基調に入り、バブル経済に向かって始動し始めていた。もうこの頃になると、内航の船員職業は3K産業の職場と言われ若者から見離されていった。

 海員学校や水産高校等の卒業生は、陸上産業の雇用事情の好転もあり、第一志望が陸上で海運・水産は第二、第三の志望と変わり、海のロマンを求める若者の姿はほとんど見られなくなった。このような状況は、少子社会、高学歴化等の進行と相まって、これ等教育機関への入学者減や質の低下へとつながっていった。

「内航船員問題への提言」を発表

その後私は、全日海で内航分野を担当することになった。平成3年全日海は、動きの遅い業界や行政への警鐘を鳴らし、荷主産業も含めて魅力ある内航海運産業と船員職業の構築を求めて「内航船員問題への提言」を発表しその取り組みを訴えた。 

 この提言は、一定の反響を呼び関係者を動かした。運輸省(当時)は早速、船員部長の私的諮問機関として省内に「内航船員不足問題懇談会」を設けその取り組みを始めた。この懇談会で意義があった一つは、荷主産業の代表もこの構成に加わったことである。

本来、船員問題は、運輸産業の問題であり、荷主産業が係わる話ではない。しかし、内航が実質荷主の支配隷属化にあること、このまま放置すれば海上輸送の確保と安定に荷主自身が危機感を持ったこと等もあり、運輸省の敷居を荷主はまたいだのである。

 懇談会を中心にした内航船員確保対策への取り組みは、その規模、内容においてかつてなかった官公労使あげての取り組みへと発展していった。懇談会には、貨物毎の小委員会が設けられたが、とくにタンカー小委員会では、官公労使でチームを編成し、数年かけて全国の製油所,油槽所をほとんど回り懇談した。タンカーは危険物輸送であり、陸上側の内航船員に対する理解不足から、船内での日常生活や上陸などが必要以上に規制され、これがタンカー船員の不足をより深刻にしていたことへの対策であつた。

 この他、海員学校に対するPR促進の財政的支援が業界側より後援会を通して行われたり、学校制度の見直し等がこれを契機に行われた。このような取り組みがそのまま続けられておれば、内航船員不足の本質を踏まえた対策が徐々に実効をあげていくと期待していたが、いくつかの環境変化によって絶対数が余剰傾向になると、業界も行政も潮が引くように船員問題から離れていった。

 環境変化の一つは、水産分野(一部は外航)からの大量の離職船員が「即戦力」として内航に転換されたことによる不足感の緩和、もう一つは、バブル崩壊による不況に伴い輸送量が減少し船腹が余剰となったことである。

船腹の余剰は、規制緩和によって30年に及ぶ船腹調整制度が廃止されたこと、それを受けての「暫定措置事業」による余剰船腹の買い上げなどにつながり、そのことにより船員の絶対数がより余剰となっていった。

また、この船腹の余剰は、荷主支配の内航海運にあって、運賃,用船料の大幅な低下をもたらした。これは、運航コストの削減としてその多くが船員職場に転嫁され、新規船員の採用抑制、労働諸条件の低下等々となって、構造的要因を持つ内航船員不足を再び表面に浮上させようとしている。

このようななかにあって最近、国土交通省船員部は、船員部長の私的諮問機関として「内航船員養成における即戦力化等に係る検討委員会」を設けた。この会の設置が再び、内航船員問題を検討しようとする判断からか、行革の嵐のなかで船員教育機関を温存しようという発想からかは定かでないが、ともかく行政が内航船員問題に一歩動き出したことは確かである。願わくば、眠っている「不足懇」を再スタートさせ、船員対策に本気で取り組むことを期待したい。

構造的不足と言われる内航船員問題

 先に、内航の船員不足は「珍現象」ではないと言った当時の状況などについて、主として元請オペレーター所属船員で構成されている内航二船主団体を例に、若干数字をあげてふれたい。

 一つは、船員の高齢化についてである。同船団の昭和46年の年齢別構成は、20歳未満が11.1%、20歳以上が31.7%、30歳以上が26.1%となっており、50歳以上は4.0%である。これが53年では、20歳未満2.5%20歳以上23.4%、30歳以上28.6%、40歳以上31.6%で50歳以上は10.9%となっており,構成年齢のピークが46年の20歳以上から53年の40歳以上へと変わっている。今日ではさらに高齢化し、ピークは50歳に近づいている。内航全体では、同船団よりはかなり高い数字と言える。

 もう一つ、船員の出身学校別分布も大きく変わっている。昭和41年、海員学校5.6%、高校(水高を含む)25.5%、中学校70.0%であったものが、53年では海員学校59.3%、高校31.5%、中学校9.3%と中学卒の『山出し船員』が激減している。  

このような変遷の背景には @ 多子社会から少子社会への移行 A 高学歴化の進行 B外航船員事情の激変による船員供給他の『脱船員職業』 C 船員職業の魅力喪失による若者の海離れ等々が考えられる。

 また、内航は永年海員学校卒を採用できなかった(外航が採用)ことから、中学校卒を「山出し船員」として採用し、実地から乗船履歴を積んで独学や船員養成施設で再教育を受け職員になっていくのが一般的なパターンであった。

 前記数字は、このパターンが終わり、新規船員は海員学校や水産高校、商船高専などに依存するパターンに変わったことを明確に示している。これによって内航は、陸上産業と競合して新規学卒労働マーケットから必要労働力を確保していかなければならない。見方を変えれば、海員学校などの教育機関が量、質ともに入学者を確保し教育できるかということでもある。

 一方、船員を雇用し、採用する業界側にも内航船員問題をより深刻にしている変化が生じている。内航は大手と言われる元請オペレーターと家業的零細規模のオーナーに大別される。内航船員がこの二つのグループにどう分布しているかを見ると、昭和40年代は元請オペレーターもかなりの自社船を有し、所属船員を雇用していた。昭和43年の二団体の所属船員は、約1万2千人で内航船員全体に占める比率は30%近いものとなっていた。

 しかし、現在は、約2,000人でその占める比率は10%にも満たなくなっている。このような背景には、いくつかの要因があるが、端的に言えることは、元請オペレーターが運航コストの削減(船員費)による利益優先に走り『船は持つが船員はかかえない』という動きを強めていったことである。この動きは、運賃の低下によってさらに加速されている。これによって、船員の雇用主体はオーナーやマンニング業者へ移っている。

 問題は今後、船員の労務管理や近代的労使関係の認識に欠けるこの分野で、船員教育機関の卒業者を採用していけるかということである。残念ながら無理だと言わざるを得ない。 

しかし、水産分野に依存してきた『即戦力』は限界にきている。参考までに全内航船員にその前職を問うたアンケートでは、約40%が漁船船員と答えている。内航総連は、毎年、海員学校、水産高校と就職懇談会を持っている。ここで出される学校側からの疑問に、『業界は船員確保のために学卒者の採用に協力をと言っているが,船社からの求人申し込みがほとんどこないのはなぜか』というのがある。これが正に前述した雇用分布の変貌を物語っている。

 後でふれる内航海運のあり方とも関係するが、元請オペレーターが支配船腹の50%近くは自らの雇用船員によって運航し、オーナーも集約や協業化によって一定規模の雇用母体を作っていく、という姿に向かって変革していかなければ内航船員の確保は益々困難になっていく。

 競争社会のなかで、内航船員の制度近代化を図り船員費コストの削減を求める声は、荷主側からも指摘され業界も度々口にしている。私もこれに反対ではないが、現状のような雇用状況の中では、誰とどう話をしたら良いか、手が打てない。おそらく全日海も同様の考えだろう。

変化の一途をたどる内航船員の労働環境

 「不足懇」で確保対策が論議されたバブル期には、内航船員の労働環境は総合的にかなりの改善が図られた。しかし、その後はまた悪化に向けて動き出し、最近では一層顕著になっている。

 全日海と労働協約を有している分野はほぼ横移動で推移しているが、これでは未組織と競争できないと、前述したような船舶の移動となって現れている。ここでは、日本殉職船員顕彰会の殉職船員奉安のための調査資料から、船内の職場環境とかかわりのある乗船中の死亡について紹介したい。

 平成7年から11年の5年間、水産分野を除く船員の乗船中死亡(職務上、外)は、251人で年平均約50人が殉職または職務外で死亡している。このなかで内航船員は205人で全体の82%である。251人の中で職務上は116人(46%)、職務外は135人(54%)となっており、生活習慣病等による職務外死亡が目立つ。職務上の116人の内、海難によるものは42人、労働災害によるものは74人で、労働災害による死亡が目立つ。職務外死亡をその原因で大別すると @ 飲酒がらみの海中転落65人(48.1%)A 心臓病、急性心不全、脳梗塞、心筋梗塞等の生活習慣病が60人(44.4%) B 自殺8人(5.9人)に分類できる。

 職務外死亡を内航のみについて見ると死亡平均年齢が52.8歳、このなかで50歳未満が40人いる。また、死亡船員の乗船隻数は222隻となっているが、これを総トン数で見ると、700総トン以上49隻(22%)700総トン未満173隻(78%)となっており、小型船が多い。因みに内航のみについて見れば、700総トン未満が90%を超えている。

 ところで、このような数字は何を物語っているかである。日本人船員の中心が内航に移った訳であるから、内航船員が全体の82%となっているのはうなづける。しかし、700総トン未満が90%を超えていること、本来、乗船勤務に耐える健康検査(船員法)を受けて乗船していなければならないのに、比較的若い船員の職場外死亡が職務上を上回っていること等々は、前述した内航船員のオーナー雇用化と労務管理のずさんさを示していると言ってもよかろう。また、飲酒にかかわる死亡も多いが、これを『酒を飲むから悪いんだ』と船員を責めることはできないと思う。オーナーによって配乗されている小型船は、僅か4〜5人の定員のなかで、オーナーの船員もいれば、マンニングからの派遣船員もおり、しかも常に入れ替わっている。船内で人間関係を保てるような職場環境とはほど遠い。入港して僅かの時間があれば、孤独をまぎらすためにせめて一パイ飲みたくなるのは人情だろう。50〜60という高齢者が持ち回りで食事を作っている姿は,淋しいものである。この調査のなかに、二団体の所属船員や組織船員(若干いた)がいなかったことをつけ加えておきたい。

求められる内航業界の変革

 内航海運は、鉄鋼、油、セメントなどの産業基礎素材を大宗貨物とする輸送でほぼ占められて推移してきたが、モーダルシフトの推進という事でRORO船、フェリーという新しい分野も徐々に拡大してきた。

 船員確保問題が問われているのは、大宗貨物の分野であり、RORO船、フェリー等分野にはさほど問題はない。ここでは若干、船員確保も含め内航海運が21世紀に向け主体性をもった産業へと発展することを願い問題点をあげて見たい。

 21世紀は、地球規模での環境問題が問われる。当面は、1997年の京都会議で約された、地球温暖化防止への取り組みが焦点となり『環境にやさしい内航海運』の重要性は一層強まってくると思う。それに備えた業界の変革は不可欠である。大宗貨物分野では、内航海運の健全な発展を目的として制定された、内航海運業法の立法主旨とおよそかけ離れた実態が現状だと思う。つまり、強大な荷主と適正な取引関係を維持し、海運業が発展していくためにオペレーターとオーナーの役割を明確にし、それぞれに一定の許可条件を付した。このなかでオペレーターには、中間に入ったブローカー的存在にならないよう、企業規模と合わせて自社船の所有を義務づけ、運送業者としての自覚と痛みを知り、適正な取引条件を確保する役割を求めた。

 しかし今日、法律の抜け道もあり、また荷主との資本や人的交流も強まり、一荷主一オペレーター(輸送資材によって複数)と変わり、自社船員は減少し、荷主対内航業界というよりも、荷主対オーナーという二極分化の感じが強まっている。これが、ひいては運賃、用船料の適正化、船員確保問題に様々な影響を及ぼしている。困難な問題はあっても業法の原点に帰ることを強く望みたい。

 一方、RORO船等の分野は、陸上輸送機関に劣らないサービスの提供という見地から、1万総トンクラスで高速の船舶を次々に投入し、現状多少過当競争的傾向はあるが、新しい内航輸送として成長している。この分野の荷主は、一部大手もあるが、基本的には不特定多数の一般市民でもある。業界が創意、工夫を凝らして健全な発展を心がけていけば、海上版クロネコヤマトも21世紀には夢ではない。この分野の運航船員は、若干、大宗貨物をまねてオーナーやマンニングに依存しようとする傾向も見えるが、大勢は自社船員によって運航されている。今後は、商船高専卒業者が中心になっていくと思うし、そうあるべきだと考える。

日本人船員とわが国シーレーンの確保

 最後に、海洋国家日本における海技者集団の維持という視点から、先の太平洋戦争における敗因の大きな1つが、海上輸送−シーレーンの破壊であったという歴史が示す事実と今日の経済安全保障上からの海上輸送の重要性とは、わが国のシーレーン確保という点で共通していると常々考えているのでふれて見たい。

 一時期、わが国のナショナルセキュリティーという見地から、日本籍船や日本人船員の確保が論議されたが、今日では全く鳴りをひそめた。太平洋戦争の良し悪しの論議はともかく、わが国が開戦に踏み切るかどうかの判断の重要ポイントとして検討されたなかに、南洋諸島から本土への資源輸送と、占領地への兵員、武器、弾薬、食糧の海上輸送が確保できるかどうかがあった。

 開戦時のわが国商船隊は、世界第三位の600万総トンであった。開戦に踏み切るかどうかを論議した御前会議で、敵の攻撃による損耗を求められた海軍は、支障を来たすような大きな損耗はない、と回答したことで開戦が決意された。数年前、NHKがドキュメント太平洋戦争を数回に分けて放送したが、その第一回で『大日本帝国のアキレス腱、太平洋・シーレーン作戦』と題して放送されたなかに、米国の資料もまじえ色々と開戦前後の両国首脳の証言等が示されている。

 しかし、蓋を開けて見ると,緒戦こそ破竹の勢いで西太平洋の幾百の島々や大陸の一部を占領し、資源確保のシーレーンは敷かれたが、米軍を主力とする連合軍が反抗に転じてからは、予想を超える輸送船の喪失が続き、昭和19年になってからは本土への資源輸送や占領地への補給は輸送船の喪失によって困難になり、日本軍は次々と玉砕していくなかで敗戦に向かっていった。昭和18年には、この対策として海軍は『海上護衛司令部』陸軍は『暁部隊』を設けたが既に手遅れであった。戦い終わって見れば、2,600隻(機帆船、漁船を含めれば7,000隻)、840万総トン(戦争中に建造された船舶を含む)、にのぼる。船舶の喪失と6万余人の尊い船員の犠牲を出し、日本商船隊は壊滅した。

 このような大きな被害の背景には、日米両国の海上輸送に対する認識と対応の大きな違いがあった。米国は、第一次大戦で島国英国が、ドイツのシーレーン破壊によって危機に陥った教訓を踏まえ、日本の海上輸送を徹底して破壊しシーレーンを絶つことが勝利への道と考え、開戦に備えた準備を十分に行い、西太平洋に配置した180隻に近い潜水艦に対し、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃の3時間後には『無制限潜水艦攻撃』を指示している。

 これに対し、日本海軍は、日本海海戦による勝利から伝統としている大艦巨砲主義が戦略の中心で、輸送船を護衛するという発想はなかった。因みに、開戦時に日本海軍が有していた護衛艦は僅か4隻にすぎなかった。NHK特集のなかでは、開戦への主役となった人達が、異口同音に海上輸送を軽視したことへの反省を語っているが、今日、果たしてその教訓が政治家や国民に伝えられているかと言えば、残念ながらノーと言わざるを得ない。

 今日、経済大国となったわが国は、海外からの輸入なくしては一日たりとも生きられない経済構造に変わった。わが国の海運は、約1億重量トンの支配船腹を有しこれに応えているが、これを動かしている船員の99%近くは外国人船員である。海運企業の立場から見れば競争原理のなかで止むを得ない対応かも知れないが、一国の経済安全保障という面から外国人船員に依存した日本商船隊の運航を見ればかつて経験したアキレス腱と危惧されてもしかたがない。

 前述したようにマルシップが拡大してきたときに乗り組んできた外国人船員は、韓国が中心であった。しかし韓国も発展途上国から先進国へと変わっていったのに合わせ、国内の雇用事情も好転し今日では、わが国支配船への配乗は皆無に近い。現在では、フィリピン、インドネシア等の船員が中心であるが、これらの諸国も発展しているから「発展途上国」であり、このような現状でわが国シーレーンの確保に問題ないと果たして言えるだろうか。

 世界は、経済の面ではボーダレス化が進んでいるが、国家や民族間の壁はまだまだ厚く、仮に何等かの事情で外国人船員の一部でも引揚げたとしたら、わが国のシーレーンは確保できない。同様なことをNHK特集も指摘していた。このような教訓からも、せめて現在国内航路に従事している約5万人の海技従事者集団の維持、確保は海洋国日本の最低要件である。この分野への外国人船員の導入は絶対行ってはならない。また、外国船員の減少によりわが国各港湾に配置されている水先人の後継者難も現実になりつつある。内航分野にもRORO船等を運航し、一定の教育、研修を行えば水先人を勤め得る海技者はいる。とかくこの分野には、外航船員(大手)による職域という慣習や固定観念もあるが、これからは、内航船員にも門戸を開くという柔軟な発想による関係者の理解と努力を期待して止まない。


以上