初代海王丸は今! 海王丸船長からの報告

                     (公益財団法人)伏木富山港・海王丸財団 常務理事
                                    帆船海王丸船長 斎藤 重信 

練習帆船の勇姿に魅せられて航海士に
 この4月から伏木富山港・海王丸財団の帆船海王丸第5代船長となりました。1930年(昭和5年)の建造時からの通算では第35代船長となります。また、当財団の今年度からの公益財団法人化にともない、財団常務理事も兼務しています。
 宮城県仙台市出身で、小さい頃から乗り物が好きでした。受験雑誌に出ていた練習帆船で「登しょう礼」を行っている姿に魅了され、「こんな船に乗ってみたい」と思って航海士を志し、商船学校へ進学しました。
 1975年(昭和50年)に当時の運輸省航海訓練所に入所し、帆船実習は初代日本丸でした。当時のセイルやロープは化繊ではなくまだヘンプ(麻)、そしてマニラロープで、雨が降ると縮むバントラインを伸ばし、晴れれば蒸れないようにドライングセイルと、当直の実習生は大忙しだったのを憶えています。同じ釜の飯を食べたその頃の仲間たちとは今でも親交があり、会えば当時の思い出話に花が咲きます。
 その後、初代北斗丸の次席三等航海士を振出しに各練習船に勤務し、1997年(平成9年)からは銀河丸、青雲丸、(新)海王丸の船長を務めました。2003年(平成15年)10月に、(新)海王丸船長として海王丸パークに寄港し、天候にも恵まれて新旧海王丸でダブル展帆したのはよい思い出です。
 この帆船海王丸(初代)には1983年(昭和58年)に次席二等航海士として1年間乗船したことがあり、それ以来次席一等航海士、一等航海士、船長と新旧の違いはあるものの、根っからの海王丸育ちとして不思議な縁を感じています。

素晴らしい自然の中にたたずむ帆船海王丸
 横浜の日本丸メモリアルパークと状況は異なりますが、海王丸パークは雄大な立山連峰をバックに、美しく豊かな富山湾という素晴らしい自然に囲まれ、「海の貴婦人」と称される美しい帆船にふさわしい立地条件に恵まれています。赴任して3か月ですが、帆船海王丸と海王丸パークが富山県や射水市、さらには日本海側の顔として全国的に知られるとともに、「総帆展帆」や色々なイベントで皆様から親しまれ、そして愛されていることを実感しています。
 また、小中学生を対象にした「海洋教室」があり、すでに5・6月で10回程度、1泊2日の海洋教室を開いています。この教室では、船のルールに従い航海訓練所からのOB船員等が厳しく指導し、団体生活の基本を学び、船内での共同生活を通して、規律や責任感、協調性を学ぶ貴重な機会になっています。
 マスト登りで高いところでの安全な作業を学んだり、カッター訓練ではみんなで協力してオールを漕ぎ、学校ではできないような体験ができます。できるだけ多くの子供達に参加してもらうことで、船や港、ひいては海や海運への関心と愛着を持っていただき、一人でも多く、海に囲まれた日本で船に乗ってみたいという気持ちになってもらえればと思っています。

富山県における帆船海王丸係留の経緯
 現在、海王丸パークに係留されている帆船海王丸は、1930年(昭和5年)、文部省が商船学校の練習船として姉妹船日本丸とともに兵庫県神戸市にある川崎造船所で建造した練習帆船であり、その2船の進水式で、時の田中文部大臣が、「日本の海の王者にふさわしい船にしたい」と願って、第1船を「日本丸」、妹の本船を「海王丸」と命名しました。
 この2隻の練習帆船を建造した背景には、当時、東京と神戸にあった高等商船学校はそれぞれ、大型練習帆船である「大成丸」と「進徳丸」を所有し、良い教育環境の下で、安全で効率的な、系統立てた実習訓練を行っていました。一方、地方の公立商船学校は函館、富山、三重,鹿児島などに11校ありましたが、学校専用の練習船を所有していたのは5校に過ぎず、それも小型で木造のものでした。練習船を持たない学校では、民間会社の帆走貨物船に実習訓練を委託するなどしていましたが、それら貨物船は古くて小型のこともあり遭難、行方不明が相次いで起こりました。高等商船学校と比べて、教育環境と内容に大きな差がありました。このような状況の下で、関係者が「全国の公立商船学校にも大型帆船による実習を!」との熱い要望を続けていた中、鹿児島県立商船水産学校練習船「霧島丸」が昭和2年3月9日に千葉県銚子沖で、暴風のため職員・生徒合わせて53名が不幸にも船とともに行方不明となるに及んで、その翌年の昭和3年、帝国議会で練習帆船2隻の建造が認められたのでした。
 そのようにして建造されたこの帆船海王丸は、1989年(平成元年)に2代目「海王丸」が竣工したことに伴い、運輸省航海訓練所の練習船としての使命を終えて現役を引退、引退までの59年間に106万海里、およそ地球50周分の距離を航海し、11,190名の海の若人を育てました。
本船の引退にあたっては、当初、各地の自治体が誘致に名乗りをあげましたが、最終的には「海王丸を富山に呼ぶ県民の会」を擁する富山県と青少年教育に熱心な大阪市との間で4年半毎に交互で係留することとなり、1989年(平成元年)9月に富山県と大阪市との共同出捐(えん)で設立された全国法人の「帆船海王丸記念財団」に払い下げられました。
その後、翌1990年(平成2年)4月、富山新港北埠頭において仮係留が開始され、1992年(平成4年)7月からは、新しく設置された海王丸パークにおいて本格係留が開始されました。
 当初、富山県と大阪市の間で交互に係留・展示されることになっていましたが、大阪市の厚意などにより、1994年(平成6年)3月には富山県での恒久展示が決定され、現在に至っています。
「帆船海王丸記念財団」は、その後、中部運輸局主管の地方法人を経て、2002年(平成14年)7月に、海王丸パーク及び臨海野鳥園並びに航路対岸の東埋立地にある海竜マリーナ、その他関連港湾施設を管理運営していた「伏木富山港振興財団」と統合して「伏木富山港・海王丸財団」となり、この度の公益法人制度改革を受けて今年度から公益財団法人となったものです。

富山県版「事業仕分け」を乗り越えて
 2010年(平成22年)8月、富山県は国の事業仕分けを参考に事務事業の再評価の実施に乗り出すこととなり、県行政改革委員会は5年以上にわたって一般財源から3千万円以上を充てている121事業の中から15事業を選定、特定団体へ助成する事業が5つ、残りは多額の維持管理費がかかる事業との内訳で、「海王丸保存活用事業費」はその多額の維持管理費がかかる事業としての再評価対象となりました。
 再評価は同年9月から年末まで実施され、視察や担当課との意見交換も行われました。その事務事業の必要性や今後の方向性について丁寧な議論が展開され、同年末に同委員会再評価報告案がまとめられました。
 「海王丸保存活用事業費」については、今後の方向性として、
◎世界的にも貴重な財産である海王丸の有効活用に努め、海王丸パークへの集客に資するように取り組むべきである。
◎当面、可能な限り経費節減に努めるとともに、今後の老朽化にどう対応するべきかを検討する。
という再評価結果となり、事務事業の継続が認められました。
 そして1年後の2011年(平成23年)9月、本会議を再開した富山県議会において、石井隆一知事は四方正治議員の代表質問に答える形で、射水市の伏木富山港(海王丸パーク)で一般公開されている帆船海王丸について、次年度(24年度)の船舶安全法で義務付けられている定期検査に合わせて、船底修理など本格的な修繕を実施する意向を示しました。
 射水市では、国が建設中の新湊大橋が24年秋に完成予定で、知事は答弁で、「立山連峰と富山湾を背景に、海王丸と新湊大橋が並び立つ景観が生み出され、観光スポットとして魅力が高まる」と指摘し、同市からも要望があったとして「全国の人に愛されるよう修繕を行う方向で検討したい」としました。

100歳になっても「海の貴婦人」として
 建造から82年を迎えた「海の貴婦人」帆船海王丸は、今秋から大規模修繕が始まります。パークから見る海王丸はとても美しいのですが海面より下の部分は簡単に修理できないため、長い間十分な整備ができませんでした。15年ぶりに造船所で上架(海王丸の船体を水から出し、船底の保守などを行うこと)工事を実施します。
 大規模修繕にあたっては、富山県・射水市をはじめ県民や市民の皆様のご支援の賜物と深く感謝しています。
 100歳になっても元気で美しい姿をお見せできるように、乗組員一丸となって整備を行い、財団職員、展帆ボランティアの皆様をはじめ、射水市民・富山県民の皆様とともに、輝かしい歴史と伝統を持つこの海王丸を大切に保存・活用していきます。
 皆様の引き続きのご協力と、温かいご支援もお願いします。(了)

【全船協より】
 斎藤船長より原稿と一緒に海王丸が係留されている富山県射水市にある海王丸パーク(公益財団法人伏木富山港・海王丸財団運営)のパンフレットも届きましたが掲載することができません。
 内容の非常に充実したホームページで色々な紹介がされていますので、是非海王丸パークのホームページをご覧下さい(http://www. kaiwomaru.jp/)。