田中善治氏ベスト・エッセイストに
― 文芸春秋 ―
 
 
日本エッセイスト・クラブは、昭和26年に評論家、エッセイストなどが集まって設立され、59年の歴史があるエッセイスト親睦団体で事務局は日本ペンクラブ内に設けられている。昭和27年に設けた日本エッセイスト・クラブ賞は、わが国で最も権威ある文学賞の一つとして毎年話題になっている。
 また、株式会社文藝春秋は、文藝春秋社として菊池寛が創業し、芥川賞や直木賞をはじめ、多くの文芸賞を手がけている。
 同社では、1983年以来毎年日本エッセイスト・クラブ編による「ベスト・エッセイ集」を刊行している。今年で29冊を数える同エッセイ集は、前年雑誌・新聞等に発表されたエッセイの中から優れた作品を日本エッセイスト・クラブが約50編を選び、単行本に纏めている。今般、文藝春秋から本協会会報「全船協」112号に掲載された田中善治理事(富山)執筆の「神だのみ」(後掲)が「2011年版ベスト・エッセイ」に選出されたとの連絡があった。
 田中さんは、これまで多くのエッセイを執筆され、2004年にはエッセイ集「船長の肩振り」を出版された。
 田中さんは、さらに中学・高校、老人クラブ等も訪問して海運や船舶に関する講演を数多く行い海事知識の普及に努めておられます。
 このたび優秀作品として選ばれた事は、誠に名誉な事であり、田中理事に祝意を表します。8月に同社がエッセイ集を出版しますのでご購読ください。


                   文芸春秋ベストエッセイ受賞作品 (「全船協」112号より)

                        
神だのみ
                                  全船協理事 田中 善治
                                      カット 備後  勲

                       
 日本の船には大小に関わらず、操舵室や海図室に神棚がある。外航船や大型船になるとほとんど四国の金刀比羅宮を守り神としており、そのお札が麗麗しく安置されている。
  私が船員になった昭和30年代には、早朝この神棚に拍手を打つ船長がいたが、程なくそのような姿を見かけなくなった。漁船や作業船などはその地方の神社を守り神としているようである。例えば、三浦の漁船は海南神社、浦賀は叶神社である。
 貨物船の耐用年数は普通20〜25年であり、代替新造船と交代する。私が勤めていた会社では昭和60年前後に、広島と愛媛の造船所で数隻の新造があった。竣工引渡しが近くなると、新造船受取りの船長、機関長を連れて香川県の金刀比羅宮に参拝し、護符を戴くのが恒例だった。一説によると仏法の守護神の一つで、ガンジス河に棲むという鰐(サンスクリット語でクンピーラ)が神格化されて祀られているという、なんとも奇妙な神社であるが、なぜか大昔から船の守り神として信仰を集めている。
  本宮まで785段の急な石段を登って社務所で祈祷料を支払い、本殿に一同正座して神官の朗々と読上げる祝詞を聞いた。足の痺れを我慢して聞いていると、航海の安全はこれで大丈夫と心底思うようになる迫力があった。新船名が記された護符を恭しく戴き、奥社へ向かった。本宮に初めて登った者はその辛さから奥社へ行くのを諦めるようだが、本宮から奥社までの583段は拍子抜けするぐらいの楽な石段である。竣工引渡し式の直前、会社の要人と新乗組員は正装して真新しい神棚の前に整列し、先に戴いてきた護符を供えて神官の祝詞のあと、夫々玉串奉奠して入魂式を済ませた。この瞬間からこの船が役目を終えるまでの長年月、その宮の祭神が守護霊として神棚に鎮座するのである。
  昭和45年10月、私は一等航海士としてT丸に乗船した。この船は日本から鋼材や乗用車を北米西岸へ、彼の地からパルプ、原木、飼料などを日本に運んだ。北太平洋を横断するのに12日ほどかかった。四航海目の翌年2月、カナダで船倉にパルプやペレット(牛の飼料)を積み込み、アメリカでは甲板上に原木を板蒲鉾状に積み上げて日本へ向かった。冬期北太平洋は特に偏西風が連日吹き荒れ難儀するため、甲板上の原木はワイヤーロープとチェーンで念入りに固縛し荒天航海に備えた。
 案の定、日付変更線を過ぎる頃より次第に強い向い風が吹き続け、波浪は小山のようになって本船に襲い掛かってきた。日本入港が遅れても、舵効を保持しながら転覆を避けなければならない。いつもは快活なK船長の表情にも緊迫したものを感じた。烈風と10メートルを優に超す波浪に翻弄されスピードは4ノットに落ちた。船長は連日連夜操舵室の窓ガラスに顔を押し付けるようにして荒れ狂う波浪を睨みつけていた。不意に私の横に来て転覆の不安を独り言のように口にした。原木の固縛を切断して投棄できないか、という。荒天中での海上投棄は命がけの作業であることは皆知っている。私は、まだ舵効があるうちは暫く凌げるのでは、と進言した。船長は黙ってその場を離れた。数分後、心配になって海図室を覗くと、神棚の前で大揺れに耐えて足を踏ん張り、両手を合わせて必死に祈る孤独な船長の後姿があった。 (平成20年12月20日 記)