合縁奇縁− 「世界陸上2007大阪」 ラトヴィア選手団

   
山 本 徳 行 
         全船協 関門支部長      
            広島商船高専校友会会長    
            ラトビア支援の会 会長    
            (在北九州スウェーデン名誉領事)

   

 

 第11回 IAAF 世界陸上競技選手権の日本での開催は1991年の東京大会以来16年ぶりである。
 今や世界陸上は、 オリンピック、 FIFA ワールドカップと並ぶ 「世界3大スポーツ・イベント」 の一つとして数えられており、 8月25日から開催された2007年大阪大会では、 世界203の国と地域から、 約2,000人の選手・役員が参加し、 世界中の190の国と地域でTV放映され、 延べ65億人の人々がその熱い戦いに注目した今年最大のイベントだった。

 私が草の根活動としてラトビアの支援を始めて10年以上が経過したが、 その活動の成果が功を奏し、 日本とラトビアとの国際交流が軌道に乗ってきたのではと自負している。
 昨年は念願であった駐日ラトビア大使館も設立され政府間の交流も活発になったし、 今年6月には天皇・皇后両陛下がラトビア共和国を公式訪問されたので、 ラトビアでは日本熱が大フィーバーし、 両国が遠くて近い国になった感じで大変喜ばしいことだ。

 私は6月3日ラトビアのパブリスク外務大臣が訪日した際、 東京の大使館で催された歓迎会に招待され出席した。 外務大臣とは初対面だったが、 私のラトビア支援の草の根活動を大使から説明を受けた外務大臣は私の長年の支援に感謝すると共にラトビア支援活動の継続を要請された。 折しも7月2日には私が招聘した短期留学生、 今年度首都のリーガで開催された日本語弁論大会の優勝者 (ラトビア大学の日本語学科の学生) が日本語研修のため来日した。 彼はリーガの独立記念塔の前でラトビア訪問中の天皇・皇后両陛下にご挨拶し、 最後に 「天皇陛下万歳」 を唱えた日本贔屓の好青年であった。

 冒頭の 「世界陸上2007大阪」 とは無関連のようだが、 私にとっては 「合縁奇縁」 で、 世界陸上に参加するラトビア共和国の選手団を、 私の故郷、 広島県の三次 (みよし) 市が事前合宿受け入れをするというニュースが舞い込んで来た。 三次市はこの受け入れを国際交流の好機と捉え選手団の滞在費を負担し、 積極的に支援すると共に、 トップレベルのアスリートと子供達や一般市民とのスポーツ交流を実施する等、 地方の人口6万の市としては画期的な素晴らしい企画であった。

 私は三次市・市長公室政策チームが主体となり設立された実行委員会から、 ラトビア選手団受け入れに当たり協力を要請された。
 草の根活動として長年ラトビアと関わってきた私にとって、 地元へ恩返しをする絶好の機会であり、 少しでもお役に立てばとボランティアで積極的に協力することにした。

 早速、 三次市役所を訪れ、 日本から遠く離れたバルト三国の一つラトビア共和国は市民にとって無知に等しい国のため、 ラトビアの民族性、 食生活・習慣等をお話し、 大使館との折衝や通訳の手配等、 長年の培った経験を活かしアドバイスした。  
 一般市民に広報するため、 私が所持していたラトビアに関する書籍類やDVD、 駐日ラトビア大使館から取り寄せたポスターを提供した。 三次市長を始め実行委員会の方々から歓迎された。

 三次市は中国山地に囲まれた盆地で中国地方のほぼ中央に位置し、 大阪・下関からそれぞれ約250キロ、 古くから山陰と山陽を結ぶ交通の要衝として栄えた風光明媚で霧の街、 鵜飼の里として知られ、 広島県内でも古代の遺跡や古墳が多く、 歴史遺産や文化財に恵まれた地域としても知られている。

 江の川水系の水郷・三次では豊かな水を利用して、 古来より酒造りが盛んで、 現在四つの酒蔵があり、 厳選した酒米と伝統の工夫を凝らした仕込み法により、 それぞれ藏独自の味の酒を作り出している。
 近年、 本格的なワイン工場として県内最初の三次ワイナリーが1994年 (平成6年) に誕生、 黒い真珠と言われる三次ピオーネをはじめ、 ワイン専用種シャルドネ、 メルドー等、 三次産のぶどうを原料としてワインを製造し、 県内外の愛飲家やワイン通に好評を博している。 又、 個性豊かな本格的ビール、 ドイツ語で 「盆地」 を意味するベッケンと名付けた、 他では味わえない風味豊かな地ビール Becken Beer も好評で愛飲家を喜ばしている。
 みよし運動公園陸上競技場は公式競技場として日本陸連から認可され、 市街地の南の緩やかな丘陵地に位置し、 緑豊かな自然に囲まれた公園の中で、 充実した付帯施設が整い、 大都会に比べ空気も清々しく絶好の環境のキャンプ地である。
 
 先ず、 ラトビアから大阪大学に留学中のリンダ・ガルワーネさんに通訳をお願いし、 8月15日三次駅に到着した彼女をラトビア国旗をあしらった茜色のバラと白いカスミソウの花束を持って出迎えた。 私とリンダさんとの初対面は昨年のラトビア大使館開設パーティだった記憶はあるが人柄については無知に等しかった。 しかし、 通訳依頼のメールや電話で信頼していた通り、 彼女は大学院文学研究科に在籍し比較文学専攻の聡明で流暢の日本語を操る才女であった。 宿舎のグランド・ホテルで彼女と事務局を交え入念な打ち合わせをし、 夕方は受入実行委員会三田委員長をはじめ委員の主要メンバーとベッケン・ビール・レストランで私が持参したラトビアの酒、 BARSAMで乾杯し、 ベッケン・ビールを飲みながら懇談した。

 周到な選手団受け入れ準備が整い、 8月17日、 関西国際空港に到着したラトビア選手団の6名を出迎え貸し切りバスで、 ラトビア語の歓迎幕が張られた三次のホテルに着いたのは夕方近くであった。 三次への車中、 リンダさんの通訳でスケジュールの調整等の打ち合わせをスムースに行い翌日からの練習に備えた。
 選手団はホテルにチェック・インした後、 市長、 市議会議長、 受入実行委員長が待つ三次市役所へ表敬訪問に伺ったが、 玄関前では市役所職員の大きな拍手で暖かい出迎えを受けた。
 宿舎のホテルでは、 食事にも特別に配慮し、 ラトビア人の好むヨーグルトやフルーツなどを毎食用意して選手団を持て成した。

 「がんばれ!ラトビア」 の横断幕が張られた陸上競技場で、 環境にも恵まれて、 選手達は連日精力的にトレーニングに励んだ。 選手団のトレーニングの合間を利用して8月19日には地元の子供達や一般市民とのスポーツ交流会、 その後 「ラトビアのアスリートの心を込めて」 とラトビア語タイトルのプレートを添えて、 運動公園に楓の記念植樹が行われた。

 ラトビア選手団の練習も最終段階となった8月20日財団法人三次国際交流協会主催の 「激励の夕べ」 が100名を超える市民参加のもとで開催された。 特別ゲストとして、 駐日ラトビア共和国特命全権大使ペーテリス・ヴァイヴァルス閣下も参列された。 駐日外国大使としては最も新しく、 ラトビア共和国では若いエリート外交官の一人で積極的外交を目指している大使であり、 三次市の招待に気軽に応じ、 公式訪問されたことは画期的な出来事であった。

 「激励の夕べ」 では冒頭、 吉岡広小路市長からヴァイヴァルス大使並びに選手団全員に特別名誉市民称号記が授与され、 大使・選手団とも大感激の面持ちであった。 吉岡市長、 前川国際交流協会理事長の激励の挨拶に応えて、 ヴァイヴァルス大使が三次市の国際交流の素晴らしさを賞賛すると共に受入実行委員会に深謝すると答礼の挨拶を述べ、 選手団には大阪大会での活躍を期待すると激励した。 特に、 大使は備後三次の城主浅野氏の歴史と故事に触れ、 競技では勝利を目指し最後まで全力を尽くして戦い抜くよう選手団を激励し満場の喝采を博した。


 続いて、 選手団団長が事前合宿の受け入れに対して謝意を述べ、 直前にバンコックで開催されたユニバーシアード大会で3選手全員がメダルに輝いたことを紹介して 「世界陸上2007大阪」 大会での奮闘を誓った。 アトラクションとして地元の子ども神楽同好会により、 鬼面が乱舞する 「塵倫」 が演じられた。
 豪華な衣裳を着けた子供達は鬼面を手に大使や選手団と記念撮影をしたのち、 激励の夕べは盛会裏に幕を閉じた。


 翌8月21日ヴァイヴァルス大使と選手団は地元の中学校を訪問し、 柔・剣道の練習を視察、 交流会では生徒代表から選手団に激布が贈呈された。 大使は寸暇を惜しんで、 三次市が誇る優美で幻想的な美術館やワイン工場、 マツダのテスト・コースを視察した。 自然環境に恵まれ人情味溢れた市民に接し、 山間の小都市、 三次に深い感銘をうけて夕方、 広島空港から帰京した。 空港への車中、 大使は 「三次にラトビアができたようだった」 と感激し、 三次での事前合宿の成功を喜び、 深甚の謝意を述べた。
 三次での事前合宿は天候にも恵まれ、 選手たちの練習も順調に進行した。 ラトビア選手団は本番に供え8月23日バスで、 市長はじめ大勢の市民・関係者に見送られて三次から大阪の宿舎に向かった。 この機会に、 ラトビア支援の会として、 三次市長、 受入実行委員会、 市民並びに関係者の皆様のご歓待に対し心から感謝申し上げる。 通訳として大活躍したリンダさんは、 連日夜遅くまで実行委員との打ち合わせも笑顔でこなし、 大使や選手団だけでなく三次市民からも大歓迎をうけ、 素晴らしいラトビアとラトビア人を印象づけた最大の功労者であった。 私も三次を再三訪問して事前打ち合わせに参加すると共に盆休みを返上して、 可能な限り受入実行委員会のお手伝いをして、 ラトビアのアスリート達を持て成した。

 長居陸上競技場での開会式当日は、 三次から40数名の応援団が貸切りバスで駆けつけ、 ラトビア選手団の入場行進をラトビア語の 「頑張れ!ラトビア」 の横断幕とラトビアの小旗を振って激励した。 三次応援団の姿を見つけた選手団は歓喜し、 ラトビア国旗と全員が両手を大きく振って応援に応えた。 今回の世界大会では、 直前にバンコックで開催されたユニバーシアード競技大会で金メタルに輝いた槍投げのパディムス・バシレフスキス選手は最終日の決勝で4位に入賞した。  

 お陰さまで、 私の信念である 「人脈、 出会いが大切」 に適った 「合縁奇縁」 で、 微力ではあるが故郷のお役に立ち、 地元の関係者、 駐日ラトビア大使、 選手団から感謝され至福の極みであった。 「合縁奇縁」、 人との巡り合わせは不思議な因縁によるもので、 私は今年の夏、 ラトビアと赤い糸で結ばれている感がした。

 私の第二の故郷門司で開催している常例のラトビア支援の 「クリスマス・チャリティ・コンサート」 も近づいて来た。 私は、 益々健康に留意し合縁の糸を引き寄せ、 地元の皆さんの力添えを得て、 このボランティアで続けて12年になる 「チャリティ・コンサート」 の盛会に向け努力すると共に、 ラトビアへの支援の輪を広げ、 日本・ラトヴィアとの 「草の根国際交流」 の継続を決意した。 これを機に、 日本・ラトビア音楽協会や北海道の東川・ラトビア友好協会など、 他の団体と協力して、 微力ではあるが、 両国の国際交流に尽力する所存である。  

 終わりに中国山地の小都市・三次とラトビアが真の友好の絆で結ばれて、 益々国際交流が深まるよう心から祈念する。