関門海峡における船骸撤去

                                                関門支部長 山本 徳行

   

 関門で海事関係の仕事に携わって40年が経過した。 近年関門海峡は航路の拡幅、 導灯、 同期点滅の灯浮標などの援助施設の充実、 AIS の活用、 情報の提供など、 過去に比べると見違えるように整備された。 しかし、 最近15年間で関門海峡において衝突・沈没し推定全損となり船骸撤去になった外国船舶は8隻を数え、 私は殆どの事件に関ったが、 船骸撤去ほど厄介な事案はない。 船主相互保険 (P&I保険) 未加入船、 加入はしているが担保保険金が撤去費用に満たないもの、 積荷の撤去・廃棄に莫大な費用を要し船骸撤去の契約が遅延した事例等、 容易に解決した事件は皆無である。 私の経験から、 船骸撤去のうち最も難問だった事件の顛末を披露し、 施行された港湾保安法の私見を述べ、 関係者への参考に供する。
 平成16年7月1日から 「国際船舶・港湾保安法」 の施行により、 船主相互 (P&I) 保険未加入の外国船舶は日本への入港を許可しないことになった。 この法律の施行で日本への入港24時間前までに 「船舶保安情報」 を関係官庁に提出し、 許可された船舶しか入港できないが、 油濁損害賠償の保障や沈没・座礁船の放置問題が解決したと思うのは早計である。
 ご存知のように、 「船舶保安情報」 は多くの通報項目があり、 「保障契約情報 (Financial Security Information)」 俗に言うP&I保険に関する項目はあるが、 船体保険に関する項目はない。 P&I保険に加入する場合、 諸々の担保条件があり船体保険の加入も条件の一つである。 従って、 船体保険に未加入の船舶はP&I保険に加入していても事故発生時、 P&I保険から費用担保・填補の契約は無効となるので、 「保障契約情報」 は単なる情報であって実効性がない。 私の調査によると、 許可されて日本に入港したP&I保険加入船舶で、 事故発生時、 船体保険未加入若しくは契約期限切れの外国船舶があることを発見して驚いた。 船舶油濁損害賠償保障法を実効性ある法律に改定し、 早急に保障契約情報を見直す必要があると思う。
 特殊な事例として、 コンテナー船の沈没事故では、 流出したコンテナーの回収に莫大な費用を要する。 北九州並びに下関への入出港船舶及び関門海峡通航船舶の安全を確保するため航路内の捜索を最重点に実施するが、 航路を閉鎖するため、 時間と費用を最小限にする方法の模索、 関門港長との折衝等、 難問の解決に頭を痛める。 狭隘で屈曲し強潮流の関門海峡は、 東は部埼から西の六連島まで15マイルに亘る航路の安全を確保するのは至難の業だ。 民間のサイド・スキャナーを装備した捜索船は約200万円/日の傭船料が必要で、 準備期間を加算すると相当な費用となる。 特殊な事例として、 捜索時間と費用を節減するため、 湾岸戦争で活躍した海上自衛隊の掃海艇の派遣を要請して実施したこともあった。
 海峡東口の部埼沖及び西口の六連島周辺を除く関門航路は強潮流、 最大10ノットを超えるため、 水中作業は流速2ノット以下の緩流時に限定されるため、 特に積載貨物がある場合は撤去に相当の日数を要する。 作業時間は一日約2時間しかないので、 撤去作業を開始してから完了するまでの期間は1ヶ月半から2ヶ月を要する。
 原則として撤去は入札によって業者と契約するが、 撤去費用は航路内及びその付近の場合、 積荷の有無、 種類によって大きく変わり、 過去の例からすると2億数千万から4億円と相当の差がある。 最近は大型起重機船 (3千トン型) を使用しての吊り上げ撤去が主流となり、 その傭船料が経費の大半を占める。 起重機船の作業は最も潮流の緩やかな時期を選んで行うため、 作業日が限定されるし、 一旦機会を逃すと次の潮時まで待機せざるを得ないので日数と膨大な費用を要する。
 平成9年11月関門橋の西、 航路の中央付近で衝突・沈没した中国船 「CH号」 はP&I保険未加入のため、 船主は莫大な撤去費用の負担能力がなく関係官庁は途方に暮れていた。 私は困惑していた関門港長の要請に応じて、 来日した船主の副社長の身元引受人となり、 船骸撤去費用の捻出のためコンサルタントをボランティアで務めることになった。
 副社長の言によると、 当該船社は俗に言う一杯船主で資産も無く不幸にして死亡した船員の保証金の支払い能力も無い、 貧乏会社であることが解った。 海上保安部との約束で、 彼は連日弊社を訪れるが、 当初は撤去費用の金策よりも事件を放置して帰国する方策の相談が主であった。 幸いにも該船は中国の船体保険会社に、 約2億9千万円の全損保険に加入していることが判明した。 私は、 不本意ではあったが、 船体保険金を撤去費用に充てるよう彼を説得し本社に連絡させると共に、 連日、 中国本社の社長に直接電話とファックスを送信して、 保険金を撤去費用に充当するよう粘り強く要請を続けた。
 撤去費用の最低入札額は3億4千万円であった。 船体保険金を全額充当しても足りないため、 私は不足分の金策に頭を痛めた。 又、 最善策を模索するため中国人副社長と我が家で食事をしながら、 連日夜遅くまで協議を重ねた。
 約1ヶ月後、 彼は心労のあまりノイローゼになった。 週末には彼を温泉に誘い露天風呂に浸かりながら、 金銭的なことは一切口にせず、 心労を癒すため中国の家族やお互いの人生論を語りながらストレス解消に努めた。 彼はホテルに滞在していたが、 昼・夜は中華料理や我が家の家庭料理に招き、 家族同様に過ごした。
 裸の付き合いが功を奏したのか、 彼は2週間後には快復し、 私の意を汲んで船体保険金の送金を約束したが、 本社の社長は納得しなかった。
 私は交渉の経過を海上保安部、 第四港湾建設局 (現在の国交省九州整備局) 等、 関係者に毎日ファックスで報告した。 新会社設立間もない時期で通信費や交通費等わが社の経費負担は相当な額になった。 私事で恐縮だが、 家内は経済状況と成功の当てのないこの事件から早く手を引くようにと連日愚痴っていたが、 私は意に介すことなく、 例え成功しなくても最後までやり遂げる決意をしていた。
 事故から3ヶ月が経過する頃になると、 国は代執行を考え始めたし、 マスコミも私の行為を興味をもって観察し、 成功と失敗の記事の両方を準備し始めた。 親しい記者は情報の収集に連日訪社し、 先行き不安な情勢をオフレコで話し合いながらも、 私の信念を理解していた。 代執行の報道をすれば、 中国船社は撤去を放棄し、 費用の送金をしない事態を懸念して、 私は代執行の報道を控えるようマスコミに要請した。
 当時の海事担当記者たちは、 私の意図を理解し協力的であったため、 代執行に関する報道は一切なかった。
 船体保険金全額を送金させると会社が倒産する恐れがあるので、 私は最善索として保険金の内、 5千万円は死亡した乗組員の保証金と会社の当座の経費に充当し、 残額の2億4千万円を撤去費用として日本に送金するよう提案し、 不足分の約一億円は私が責任を持って工面すると約束した。 しかし、 副社長は一億円の金額は中国では一家族の100年分の生活費に相当すると説明し、 私の約束を信用しなかった。 私の提案が最善策と確信し彼に理解を得る為説得を続けた。
 私は精力的に関係者と協議を重ね、 不足分の金策に奔走した。 撤去業者には費用の大幅な減額を依頼し詳細な作業方法の見直しを協議した。 関係官庁に対しては、 警戒業務や航路標識等可能な限りの支援協力をお願いした。 私の強引とも言える提案を聞き入れていただき、 関係者の同意を得て契約書 (案) には撤去費用2億4千万円と明記し、 不足分については、 私の責任で処理すると誓約書を準備し、 関係者の連署を取り付けた。 誓約書を準備したことによって、 副社長は私の提案に賛成し契約書 (案) と誓約書を携えて社長を説得するため春節前に一時帰国した。 関係者の一部には、 人質同然な彼の帰国に反対したが、 私は彼の真摯な態度と人柄を信頼し、 終始彼の意見と行為を尊重した。
 紆余曲折はあったが、 積極的な交渉が実を結び中国船社の社長から、 保険金を受け取ったら2億4千万円の撤去費用を送金すると連絡があったのは3月中旬過ぎであった。 しかし、 予期せぬ難問が判明した。 中国船体保険会社は原則として多額の保険金支払いは分割で行うため、 全額の支払いは6ヶ月以上掛かると連絡があった。
 撤去契約は事前の現金振込みが条件だったので、 作業の開始が大幅に遅れたため、 警戒船の費用など、 莫大な経費増になって、 同意した契約内容では撤去が不可能な事態となる。 このような最悪の事態を収拾するため、 私は保険会社に直接電話したり、 再三、 中国総領事館を訪問して、 事情を説明し船体保険会社へ保険金の一括全額の支払いを実施するよう指導・協力要請を依頼した。 知人の駐福岡中国総領事は好意的で、 積極的に保険会社への要請を繰り返してくれた。 加えて、 船社の副社長には日本の状況を縷々説明して、 保険会社へ保険金一括、 早期支払いを実施するよう日参させた。
 事故発生から3ヶ月が経過した頃から、 周囲の野次馬達は私の行為を侮蔑し、 中国からの莫大な撤去費用送金の可能性は皆無だと公言してはばからない輩もいた。 私は全ての風評を聞き流し、 中国側関係者には精力的に連絡を継続して副社長からの吉報を待った。
 全ての行為が効を奏し、 4月末船体保険金の全額を保険会社から受け取り、 2億4千万円を送金したと副社長から連絡があった。 連休の最中、 5月8日指定した銀行への振込みを確認して私の苦労が報われ感無量だった。 早速、 5月11日船主代行で準備していた正式船骸撤去契約を締結、 作業船団が艤装を終え作業を開始したのは5月18日、 交渉・締結・作業開始まで私にとっては長い道程だった。
 積荷の Steel Coil 約2千700トンを船倉から取り除き、 船体は大破した部分で2分割して、 大型起重機船で吊り上げ撤去した。 作業開始から完了まで45日間、 沈没事故 (平成9年11月11日) から関門航路が平常な状態に復帰するまで約8ヶ月を要した。
 平成10年7月2日赤茶けた無残な船骸が起重機船で吊り上げられ、 排水後岸壁に無事繋留された。 私は直ちに自主撤去に対する真摯な取り組みをした船主に、 国際電話で撤去完了の報告をした。 8ヶ月の長期に亘り費用に絡む 「不安」 を 「信頼」 で必死に振り払い、 目的を達して満足感を味わった。 私にとっては生涯忘れられない、 畢生 (ひっせい) の大事業であった。
 終始、 ご支援・ご協力いただいた関係者、 特に法律問題では貴重な助言者であった親友の海事弁護士、 海上保安本部や国交省九州整備局の担当者、 並びに撤去業者の皆さんに心から感謝した。
 撤去完了の翌日、 平成10年7月3日、 私の支持者で理解者の一人、 読売新聞のベテラン記者が地域ニュースとして掲載された記事を紹介する。