クルーズ客船「飛鳥」乗船記(最終回)

医学博士      橋 本 進

元東京商船大学教授   
元航海訓練所練習船船長

                                                            

【灯船アラカルト】
本牧灯船(1869年2月)
○本牧ほんもく灯船:慶応3年 (1867) 幕府が欧米諸国の指導によって選定した灯台の一つであった本牧には、 灯船を置く必要があるとして木造船の建造に着手、 明治元年 (1668) 11月起工し翌2年11月完工した。 これが 「本牧灯船」 で北緯35度27分・東経139度41分の位置に定置された。 本牧灯船は我が国における灯船設置の第1号で明治政府工部省燈台寮お抱えのイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン (Richard Henry Brunton) の指導監督によるものであった。 明治31年 (1898) 5月15日までこの位置にあった。
○函館灯船:明治3年 (1870) 5月に起工し明治4年4月完工、 弁天埼の北方北緯41度48分・東経140度42分の位置に定置して運用を開始したが、 この灯船もブラントン技師の指導監督によるものであった。 いま、 その存在は分からない

○東京灯船:大東亜戦争終結後、 東京港の整備が進み出入港船が増えるにつれて、 東京港への航路標識の設置が望まれるようになった。 東京都港湾局は昭和22年6月、 旧陸軍の舟艇を改造した灯船を港口に設置した。 これが初代の 「東京灯船」 である。 昭和23年5月海上保安庁が創設され、 昭和25年に東京灯船は海上保安庁水路部に移管された。 同27年3月強い北西風のため灯船が沈没したので、 その代替船が建造され翌28年3月就役した。 その後の東京港の発展は、 灯船に替わる強力な航路標識を要望する機運が高まったことから、 昭和40年4月水路部は 「東京灯標建設調査委員会」 を設置して検討を始めた。 同年度より建設工事にかかり、 昭和43年11月1日、 灯台百周年と灯台記念日を記念して点灯された。 設置位置は北緯35度33分34秒・東経139度40分53秒である。 ちなみに、 灯船の灯器は 「船の科学館」 前のプール中央にマストとともに保存されている。

5 パナマ運河追記
【パナマ運河のワニ】
 パナマ運河にワニが棲んでいるという話は、 まえから聞いたことはあるが実際に見たことはなかった。 ところが、 今回のパナマ運河通航中にワニを見たのである。 その場所は 「ゲイラードカット」 であった。
 ゲイラードカットは拡幅工事がすすみ、 いまでは水際まで草木が繁茂しているということはなく、 最上甲板からも水辺まで見通すことができた。
 ゲイラードカット中頃のエンパイアリーチ (Empire reaches) に差し掛かったころ、 行く手のキュカラチャリーチ (Cucaracha reaches) に架かる白く塗った高い陸橋が見えた。 その時、 右舷側の船客から 「ワニだ、 ワニが泳いでいる!」 との声があがった。 急ぎ右舷側に出てみると水辺近くをワニが泳いでいるではないか。 早速、 カメラに収めた。
 パナマ運河にワニは棲んでいたのである。
【ペドロ・ミゲル・ロックと航路ブイ】
 ペドロ・ミゲル・ロックはガツン湖に連なるゲイラードカット南端のロックで、 ミラフローレス湖につづく。 このロックを追記として取り上げたのは、 パナマ運河の航路を示す側面標識 (航路ブイ、 以下ブイと呼ぶ) の塗色がここで変わるからである。
 ブイの塗色は緑色と赤色があり、 日没後は同じ色の灯火が点つく。 灯火が点く航路浮標を 「灯浮標 (ライトブイ、 light buoy)」 という。  緑色のブイは左舷ブイ (左舷ライトブイ) といい、 航路の進行方向 (定められた航海方向) の左舷側に設置されている。 トップマーク (頭標) は円筒形、 ブイ側面には航路の入り口から奥に向かって一般的には順次1・3・5…と奇数番号が描かれている。
 赤色のブイは右舷ブイ (右舷ライトブイ) といい、 航路の進行方向 (定められた航海方向) の右舷側に設置されている。 トップマーク (頭標) は円錐形、 ブイ側面には航路の入り口から奥に向かって一般的には順次2・4・6…と偶数番号が描かれている。
 航路ブイは、 前述したように航路の左舷側および右舷側を示すものである。 河口または海口 (航路の入り口) からの 「航海方向 (Voyage Direction)」 は 「川の上流または湾奥」 とし、 左舷ブイは航路の左、 右舷ブイは航路の右であることを示している。 つまり、 緑ブイと赤ブイの間が航路なのである。 また、 前述した航路ブイ側面の数字は、 一般には入り口の緑が1、 入り口の赤が2で、 次の左側は3, 右は4…といった具合である。
 ここで、 航路の左舷側・右舷側を決める 「航海方向」 について、 日本では、
 「港・湾・河川およびこれらに接続する水域では、 港もしくは湾の奥部または河川の上流とし、 瀬戸内海 (関門海峡を含み、 宇高航路を除く) では、 神戸港」
としている。 例えば横浜に入港する場合の浦賀水道では、 湾奥に向かって航路の右側には赤色の右舷ブイ、 左側には緑色の左舷ブイが設置されている。
 パナマ運河の 「航海方向」 はペドロ・ミゲル・ロックである。 したがって、 ここでブイの塗色および灯色が変わる。 つまり、 大西洋側からペドロ・ミゲル・ロックまでの航路ブイは、 このロックに向かって左側には左舷ブイ (緑)、 右側には右舷ブイ (赤) が設置されている。 同様に、 太平洋側からペドロ・ミゲル・ロックまでの航路ブイは、 このロックに向かって左側には左舷ブイ (緑)、 右側には右舷ブイ (赤) が設置されている。 つまり、 ペドロ・ミゲル・ロックを境にして航路ブイの色が左右逆になるということである。
 1980年11月、 IALA (International Association of Lighthouse Authorities、 国際航路標識協会) において、 このような2方式を全世界が採用することを採択したにもかかわらず、 いまなお世界はA・B方式で2分されている。 上記した方式 (B方式) はアメリカ南北大陸、 日本、 韓国、 フィリピンで採用されているが、 他の国々はこの逆なので注意しなければならぬ。 例えばシンガポールでは左舷ブイは 「赤」、 右舷ブイは 「緑」 である。


【パナマ鉄道のレール】
 パナマ鉄道は、 フランス人フェルディナン・ド・レセップスがスエズ運河を掘り始めるまえの1855年、 パナマ鉄道はすでに開通していた。  万延元年正月22日 (1860年2月13日)、 日米修好通商条約批准書交換のため新見し ん み豊前守ぶぜんのかみ正興まさおきを正使とする一行77名は、 迎えのアメリカ軍艦ポーハタンに乗船し横浜を出港した。 随伴艦咸臨丸より3日遅れての出航であった。 新見豊前守の従者として乗船していた仙台藩士・玉虫たまむし左大夫の 『航米日録』 によれば 「閏うるう三月六日 (太陽暦4月25日) 晴、 今日は御奉行を始め一統上陸し、 直ちに蒸気車に乗のり…」 と、 パナマ鉄道で大西洋岸に出たことを記録し、 欄外に鉄道レールの断面図を描いている。
 練習帆船日本丸は、 1976年 (昭和51年) 7月4日のアメリカ建国二百年記念帆船パレードに参加しての帰途、 7月24日パナマ運河のミラフロレス・ロックを出たところで、 パナマ運河地帯ガバナーのH・R・パーフィット氏より二百年祭参加記念品が贈られてきた。 開いて見ると、 1853年から1869年までパナマ鉄道で使用されていた当時のレール、 いぬ釘、 まくら木で作られたブックエンド (本立て) で、 そのレールの断面は玉虫左大夫の記録のとおり中空であった。 1860年、 新見豊前守一行はこのレール上を走ったのである。

6 虹はなぜ円いのか
 虹は太陽光線が空中に浮かぶ雨滴に出入りするときの屈折と反射によって起きる現象である。 雨上がりのときなどに、 太陽と反対方向―太陽を背にした方向に現れる色の付いた光の輪をいう。
 虹はなぜ円く見えるのだろうか?
 「太陽と観測者を結んだ線の延長方向の点を対日点といい、 虹はこの対日点を中心として半径約42度 (赤色の部分) で輪の外側が赤、 内側がすみれ (紫) 色で、 その幅が約2度の光の輪となる。 ところが、 虹を見る人は地上に立っているので虹の輪の下半分は見えず、 上半分だけが見えることになる。 だから、 太陽高度が低いときには半円形の虹が見えるが、 太陽高度が高いときには虹の円弧の頂点付近しか見えない。」
というのが答えである。
 このような虹を主虹と呼ぶが、 このほかに副虹、 水平虹、 月虹などがある。
 虹の色は赤・橙だいだい・黄・緑・青・藍あい・紫むらさきの7色全部が現れることは少なく、 どの色が現れるかは雨滴の大きさによる。 大きい雨滴 (径1〜2ミリメートル) は、 はっきり見えるが、 小さい雨滴 (径0.2〜0.3ミリメートル) のときは橙、 緑の2色くらいとなり、 虹の幅も広くなる。
【副虹】
 主虹よりも一回り大きい虹で、 対日点を中心として半径約 51 度 (赤色の部分) である。 色の配列は主虹とは逆で、 内側が赤、 外側がすみれ色で、 その幅は主虹の約2倍 (約4度) である。 主虹より薄く、 色も不鮮明である。
【水平虹】
 水面に浮かんだ塵埃などに、 朝方に霧がつき、 その霧に太陽光が屈折・反射してできる虹である。
【月虹】
 月の虹、 月を光源としてできる虹である。 月の虹は非常に薄く、 白色に見える。 月の虹
は月を背にした側に見えるので、 月の暈かさと間違えやすい。 暈とは太陽または月の周囲に見
える光の輪をいい、 光が、 空に浮かんでいる微細な氷の結晶から成る雲の屈折と反射によって生ずる現象である。 太陽の暈は日暈にちうん、 月の暈は月暈げつうんという。
【虹に関する俚諺り げ ん、 伝承】
 虹は美しい現象なので、 昔から様々な天候の前兆として観測され、 「朝虹あさにじは雨、 夕虹ゆうにじは晴れ」 などの俚諺がある。
 一方、 虹を天地の通路、 神霊や霊魂の通路とする伝承は、 古代ゲルマンやインドネシア
・メラネシア、 台湾の高砂たかさご族、 インディアンなど世界的に分布が広い。 日本神話の冒頭でも伊弉諾い ざ な ぎと伊弉冉い ざ な みが 「天あまの浮橋うきはし」 の上に立って矛ほこで下界をかき混ぜ、 最初の陸地を創造したと伝えられているが、 これも虹を示すと考えられている。
7 うみどり
【カツオドリ】
 太平洋では広く見られる海鳥である。 空中から水中にダイビングして餌を捕る大形の海
鳥で、 雌雄ほぼ同色で全身は黒褐色で腹から下と翼の雨覆羽あまおおいばね (鳥の風切羽かざきりばねの根もとを覆う短い羽毛) のみが白い。 尾は黒褐色でくさび形、 くちばしは淡黄色、 目の周りの露出部は、 雄は青味があるが雌は黄色い。 足は黄色で短い。  獲物を見つけると、 上空で少し留まったあと翼を後方に伸ばしたまま水中に突き刺さるように、 くちばしから飛び込んで捕らえる。 体は紡錘形なので飛び込みの際、 水の抵抗を弱め、 水中深くまで潜ることができる。 皮下の海綿状の空気層は、 水面突入の際の衝撃と水圧を緩和する働きをする。
【ペリカン】
 「ペリカン」 といえば、 私たちは白色あるいはうす桃色の大きなくちばしに大きな袋をつけた海鳥を想像するが、 カリブ海やパナマ近くで見るペリカンは趣が異なる。
 ペリカンは大形の水鳥で、 最大の種では全長170センチほどもある。 大きなくちばしを持ち魚を主食とする。 下のくちばしから喉にかけて弾力性のある特徴的な袋状構造を持ち、 掬い捕らえた魚をこの袋に蓄える。 4本の指には水かきがある。
 ペリカンにはハイイロペリカン、 モモイロペリカン、 カッショクペリカン、 アメリカシロペリカン、 オーストラリアペリカンなど8種類ある。 このうち北アメリカ大陸に生息するのはカッショクペリカンとアメリカシロペリカンであるが、 海上で目にするのは前者が多い。
8 あとがき
 「飛鳥」 乗船記 (上) に予告したように、 今回の乗船記 (下) では乗船中に目撃した感動的な 「グリーン・フラッシュ」、 アンブローズ灯船を見て閃いた 「自由の女神像の視線の行方」、 質問のあった 「虹はなぜ円いのか」 などについて説明を加えてきた。 なかでもグリーン・フラッシュとワニはうまく撮影できたので掲載した。 「パナマ運河追記」 では前回とは異なる運河の側面を紹介した。
 今回のクルーズ客船 「飛鳥」 への乗船依頼を、 一般の方々に自然・海・船を知ってもらうための絶好の機会と捉え、 それに沿った内容を企画し実行に移したが、 ほぼ満足すべき結果を得たと思っている。 それにもまして、 一期一会の縁で多くの方々と知り合い語り合うことができたことは嬉しいことであった。
 稿を終えるにあたり、 クルーズ客船初体験者を暖かく受け入れ、 おもてなしをいただいた船客の皆様、 また、 公私にわたりご協力をいただいた 「郵船クルーズ」 および 「飛鳥」 乗組員の皆様に厚く御礼申し上げます。 ありがとうございました。        ―完―
【参考文献】
LIGHT LIST VOLUME 1:ATLANTIC COAST 2003
New Jersey Lighthouse Society Home Age-Ambrose 2004
灯台要覧:航路標識管理所、 明治37年3月
日本灯台史:海上保安庁灯台部、 燈光会、 昭和44年6月
昭和51年度・遠洋航海報告・練習船日本丸:航海訓練所
ロマンの海に漕ぎ出そう:橋本進、 舵社、 1990
パナマ運河:山口廣次、 中公新書、 1978
お雇い外人の見た近代日本:R・H・ブラントン、 徳力真太郎訳、 講談社学術文庫
(編集部注)
 本稿は、 (社) 日本旅客船協会の会報 「旅客船」 No.233及びNo.234に掲載されたものを、 転載させていただいたものである。 今回で連載を終了いたします。 筆者並びに日本旅客船協会のご厚意に深く感謝の意を表します。