桜 と 靖 国 神 社 参 拝


                                       名誉会員 水沼  清 (大島E47)

 三月中頃から朝日新聞夕刊で 『ニッポン人脈記−桜の国で』 を連載していた。 (その6) に大凡次のような事が書いてあった。
 61年前の昭和20年4月5日に世界最大の戦艦大和が片道燃料で沖縄へ 『水上特攻』 として出撃し、 その2日後の4月7日に米軍の数度にわたる空爆で、 20数本の魚雷と、 数十発の爆弾をくらい、 大爆発を起こして沈没し、 乗組員9割以上、 3千余人が戦死した。 九死に一生を得て佐世保に帰ると桜が満開に咲いていた。 何人かがこの美しく咲き誇る桜を見て狂ったように泣き叫んだという。 『おれたちが命懸けで戦って、 みんな死んだのに、 何で桜が咲いてやがるんだ』 と。 海軍のシンボル 『桜に錨』 の錨が、 しかも不沈艦と信じて胸を張って乗っていた戦艦大和が阿鼻叫喚のなかに沈没したのに、 桜だけが美しく咲き乱れている。 其の様が神経をかき乱し、 切ない思いに狂ったのであろうか。
 私は昨年の5月、 尾道で開催された泉汽船のOB会に参加し、 日立造船西工場で大和の艦橋、 主砲、 副砲、 高射機銃等の実物大セットを見、 大島商船四七期会で呉海軍工廠跡地の大和ミュージアムで十分の一の大きさの模型を見学し、 更に2月28日には丸の内東映で 『男たちの大和』 を観たばかりだったので、 其の気持ちがよく判るような気がした。
 私達も戦争末期に佐世保海兵団で鍛えられながら好んで歌った:―
“貴様と俺とは 同期の桜 離れ離れに 散ろうとも
 花の都の 靖国神社 庭の梢に咲いて 会おうよ”
と歌いながら大和と共に海底に散った戦友を偲んで泣いたのであろう。

靖国神社に祀られるのは:

 戦陣に倒れた此のような人達を奉祀するお御社が靖国神社であって、 戦没した人は、 将も兵も、 軍属も、 当時外地と呼ばれていた台湾や朝鮮の人たちも位の上下なく合祀されている。 私の父もどこの海上で沈没したのか判らないが 『陸軍軍属船長』 として祀られている。 『戦陣に倒れた人』 はその 『場所』 その人の 『位』 に関係なく、 国が自主的に且つ平等に奉祀する。 それが靖国神社なのである。
 ところが、 昭和53年になって、 どのような事情があったのかは知らないが、 A級戦犯の方々を合祀したのが、 そもそも誤りではなかったのだろうか。
 14名の方々は戦の庭で戦死なさったのではない。 『過ちて改めるに憚る勿れ』 である。
 曾ての明治維新の功労者西郷隆盛も、 日露戦争を勝利に導いた東郷元帥も乃木大将も、 大東亜戦争敗戦の責めを負って割腹自殺された最後の陸軍大臣阿南陸軍大将も合祀されてはいないのである。
 私は勝者によって一方的に裁かれた東京裁判を正当なものとは思っていない。 しかし日本は昭和20年8月15日に戦争に敗れてボツダム宣言を受諾し、 昭和26年9月8日にサンフランシスコ条約に調印したのであるから、 東京裁判を含め不当な部分が多々あったが、 国際法上これを受け入れた訳であるから、 戦犯として認めざるを得ないのである。
 明治以来日本国がかかわった戦争は、 その原因が、 自存自衛の為決然立った日露戦争であろうと、 日英同盟の誼みで、 英・米側に立ってドイツに宣戦し、 漁夫の利を得た第一次大戦であれ、 昭和6年の満州事変から昭和12年7月7日勃発したのを日支事変と呼ぼうと、 支那大陸での戦いは侵略戦争であったことは間違いない。 昭和16年12月8日に 『米国および英国に対して戦いを宣した』 大東亜戦争であろうと、 何れも国家がその方針を決定して戦争を起し、 国民は国の命令に従って戦場に赴き、 戦いの場で戦死して、 国の計らいで靖国神社に祀られたのであるから、 国が追悼の主体になるのが当然のことである。 これを具体的に言うと、 日本国の象徴であらせられる天皇陛下を先頭に、 国民代表の両院議長、 内閣総理大臣が各省大臣を引き連れて、 威儀を正し、 粛々と参拝してしかるべきだと思う。
 これを外国がとやかく文句を言う筋合いのものではない。 中国から文句を言われまいと、 昨年のように内閣総理大臣がわざわざ日にちをずらし、 私服で、 なにやらこっそりと、 一般参拝者と同じような位置に立って、 ポケットからお賽銭を取り出し、 チャリンと賽銭箱に投げ入れて手を合わすような、 みっともないことは絶対に止めてもらいたい。 中国が益々図に乗ってくる。
 中国も北朝鮮も、 韓国さえもが、 国内に溜まった内政の不満や失政の 『ガス抜き』 に 『靖国問題』 が利用されているのが判らないのか。
 中国は必ず 『靖国』 の前に枕詞として 『A級戦犯を祀る』 と言っている。 中国から言われたからではなく、 過ちを改めてA級戦犯の御霊を分祀し、 靖国本来の 『戦没者をお祭りする』 すっきりした形に戻すべきだと思う。
 分祀は出来ないとか、 分祀しても御霊は靖国に残るとか言われるが、 それは 『靖国側』 のお考えで、 それはそれでいいではないか。
 また昭和6年の満州事変から昭和20年8月までの14年間もの長い間、 帝国陸軍が中国本土を席巻して中国人民に多大のご迷惑をお掛けした。
 中国がこれを侵略戦争だと言い、 日本の首相に、 其の指導者であった 『A級戦犯を祀る靖国神社』 に参拝しないよう求めるのは 『内政干渉ではなく、 中国人民の気持ちを逆なでせず、 その痛みを判ってくれ』 との考えを言っているのだと主張する。 それはそれで当然だと思う。
 かって、 85年頃中曽根首相の意を受けて、 A級戦犯として処刑された板垣征四郎陸軍大将のご次男で参議院議員をされていた板垣正氏がご遺族に分祀を働きかけ、 概ね賛同を得たが、 東条さんのお孫さんお一人が 『分祀を受け入れることは東京裁判の肯定に繋がる』 として反対なされと聞いている。 しかし日本国はサンフランシスコ条約を受け入れて平和条約を締結した訳だから、 頑張られても仕方がないと思うのだが。
 それより、 戦艦大和で 『海底のモクズ』 となられた将兵、 特攻隊で命を捧げた若者達と、 その戦争を計画し指導された方々とが同じ 『お社堂や し ろ』 に祀られているのも双方にとって居心地がよいものとも思わない。
 幸い東郷神社から受け入れOKのサインが出ていたと聞く。 此のような事態を何時迄も放置せず沈静化を図り、 ご遺族としても静かな場所でのお参りの方がいいのでないか。
 第2次世界大戦まで数回にわたって血みどろの戦争を繰り返し経験したドイツとフランスの現状を見習うべきと思う。 国益が一番大切です。
 小泉首相は何時までも我を張らず、 お隣の大国、 しかも現在最大・急速に発展しつつある中国との国交の再正常化を最後の大仕事として自分白身で成し遂げ、 有終の美を飾って花道としてもらいたい。
                                                          以上


      訃 報

 ご多用の折にもかかわらず、 この夏季号に上掲の 「桜と靖国神社参拝」 をご寄稿して頂きました、 本会の名誉会員・水沼 清さんは、 去る6月24日午前0時30分、 急性心不全のため享年76歳をもって急逝されました。
 葬儀・告別式は6月26日、 千葉県柏市旭町のセレモ柏ホールにおいて執り行われ、 本協会代表をはじめ各界の多くの方々が参列され、 多数の献花・弔電が寄せられました。
 参列者は、 鹿児島同窓会の皆様が唄う校歌の中でお別れをいたしました。 誰も予期せぬご不幸により、 ここに掲載願った文は、 ご本人の目に届かぬご遺稿となってしまいました。
 故人は、 若くして本協会の事業推進に直接参加され、 東京青年部代表として会長推薦により理事に就任、 昭和49年からは長きに亘って常務理事の重責を担って活躍なさいました。 その間には本協会を代表して政府審議機関等の論議・検討にも参加され、 (財)日本海技協会の発足の折には海技専門委員会委員に就任なさるなど、 その足跡は、 今も記録の中に厳然と残されています。
 第一線を引かれた後も、 名誉会員として事業の発展を見守り、 後輩会員を育て、 時には激しく論争することもありましたが、 故人の口癖は 「全船協を愛している!」 でした。
 また母校の練習船・霧島丸の、 遭難殉職者に対する同窓各位の痛恨の想いを結集し、 本協会と力を合せ、 平成16年春には観音崎から海を見守る 「戦没船員の碑」 への殉職者奉安を達成いたしました。 その年5月の第34回追悼式にお集まりになった金田同窓会会長初め同志の皆さんとご一緒の歓びの表情は、 生涯忘れることはできないと思います。
 去る5月26日に開催されました本協会通常総会が拝顔の最後となりました。 懇親会席上の、 励ましのお言葉を胸に刻み、 本協会の王道をこれからも邁進する決意であります。
 ここに、 長きにわたるご貢献に謹んで謝意を申し述べ、 役員を代表し、 また会員共々、 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
                                             会長理事 川村 赳